2024.07.08
小田原の休耕田で里芋づくりに挑む。
移住就農した元編集者が伝えたい
情報発信の大切さとこれからの農業
細谷豊明さん/リブラ農園
農園所在地:神奈川県小田原市
就農年数:3年目 2022年就農
生産:里芋、梅
編集・デザインのスキルを活かして「北条太郎」をブランディング
トップページは英語表記、イラストレーション主体のシャープなデザインと明確なメッセージが、見る人に強いインパクトをもたらすリブラ農園のウェブサイト。「農家らしからぬサイトにしたくて」と語るのは、園主の細谷豊明さんだ。
生産している里芋には、小田原になじみの深い「北条」姓と里芋の英語名「taro」を組み合わせ、「北条太郎」とネーミングしてブランディング。梅酒用に出荷する青梅と加工した梅干しには、どちらも「北条梅子」と名付け、梅干しの方には塩気と円熟みを感じさせる老尼のイラストをトレードマークに据える洒落っ気も。こうしたクリエイティブな仕掛けや情報発信は、細谷さんがこれまで長年職業としてきた編集・デザインのスキルの賜物だ。
前職ではネットスーパー事業の立ち上げにも携わり、そこに集まる生産物を販売するカタログやウェブサイトの編集を行っていた細谷さんだからこそ、丹精込めて生産した作物の魅力を、誰に、どのように届けるか、どうしたら伝わるのかに知恵を絞っている。
「単に、『北海道で採れたジャガイモです』と言うだけでは、魅力がいまひとつ伝わらないでしょう? 作物の背景にあるストーリーを伝えることが大事。『北条太郎』は、僕が就農してから小田原で大規模に栽培できる作物を模索して、昨年から始めた新しい取り組みです。ほぼゼロからのブランディングですが、だからこそ一目で覚えてもらえるようにユニークな名前を付けました」
細谷さんは、編集者としての経験豊富なキャリアを持ちながら、どのような経緯で農家として新たな道を歩むことになったのか。また、小田原でなぜ里芋栽培を始めたのだろうか。
小田原へのスピード移住から独立就農まで
細谷さんは編集とデザイン制作の現場で多忙な日々を送り、40代に差し掛かる頃から地方移住が視野に入ってきたそう。海の近くで過ごしやすい所がいい。地方に住むなら、そこでの仕事ももう一つ作りたい。地方の仕事といえば、やはり農業だろうか…。
そんなイメージを持ちつつ、編集・デザインの仕事の関係上、東京へのアクセスが2時間圏内の地域をあちこち視察する中、訪れた地域の一つが小田原。視察時にはピンとこなかったが、帰りがけに地方の仕事を見てみようと何気なく立ち寄ったハローワークで「農業研修生募集」の求人が1件だけ出ていたのを見つけ、履歴書を送ったところから事態が急速に動き出した。
求人を出していたのは、主にキウイやみかんを生産している農家で、時はちょうど収穫期に突入する10月。人手が一刻も早く必要な時期だったため、翌週には面接、その翌日には「採用」の連絡、そしてなんと採用から10日後には、細谷さんは小田原に引っ越していたという。視察から約1ヶ月後のスピード移住。住まいは師匠から空き家を借り受け、地方暮らしに不可欠とも言える車は知人から譲ってもらうことができた。また、東京の仕事もひと段落したタイミングで農業研修を始められるという、まるで導かれているような展開だった。
「ターニングポイントでしたね。師匠の『すぐに来い!』の圧に押し切られた感はありますが(笑)、気が変わる前に来てしまってよかったと思います。農作業は師匠の姿を見ながら覚えた感じ。当時は40代前半だったので何とかできましたが、正直体力的にはきつかったですね、夏の暑さが特に。新規就農するなら最低限の体力は必要です」
細谷さんの妻は、移住に備えて地方でも活躍の幅が広い作業療法士の資格を取得するため会社員を辞め、資格取得後は都内の病院に就職。そのため、数年は東京に残ることになり、細谷さんは2019年10月から単身で小田原生活をスタートさせた。その後2年間の研修期間と半年の準備期間を経て、2022年4月に自らの農園を立ち上げた。また、その年の7月には無事に小田原市から新規就農者の認定を受けることもできた。
農業を生業として成り立たせるために
一見順調に進んだように見える細谷さんだが、農業をもう一つの本業として成り立たせるため、さまざまな試行錯誤を経験している。その一つが生産物の選択。研修で身に付けたのは、小田原の農業の代表格であるみかん、キウイ、梅の栽培だが、独立してみると経営上の課題も見えてきた。
果樹栽培は、品目や規模によっては初期投資を抑えて始めることができるという利点はあるものの、みかんは価格を高く設定することが難しく、斜面で栽培するため、作業の機械化や農園の大規模化が難しい作物だ。一方、キウイは細谷さんが営農している下曽我地区でも花形の高利益が見込める人気果物だが、だからこそキウイ畑を手に入れるのが至難の業。キウイの木を手放す農家は少なく、たとえ離農したキウイ畑があったとしても先輩農家が先約済みであったり、不便な場所にあったりと厳しい状況だった。
「独立する際は、作物や品種の選択が非常に重要です。例えば、甘みの弱い品種のみかんにどれだけ手間とコストをかけても、甘みの強い品種のみかんには糖度の面では及びません。経済性を考えると、ブランド力がある品種の作物や、機械化しやすい作物を選ぶことも大切だと思います」
この小田原で農地が手に入りやすく、大規模化・効率化して主力作物にできるものは何だろう? そう考えていた細谷さんが着目したのが、隣町で栽培が盛んだった「里芋」だった。
ストーリーのある里芋の大規模栽培に挑戦
細谷さんが作る「北条太郎」は、甘みがありねっとりとしたおいしい弥一芋という品種で、その昔、小田原の常念寺というお寺の住職から村人が種芋を譲り受けて栽培が始まったと言われている。戦前は関東地方で広く生産されていたが衰退し、神奈川県農業技術センターに系統保存されていた種芋から有志の農家によって現代に復活したというストーリーがある。細谷さんは里芋栽培が盛んな隣町の研究会に所属し、種芋を購入して試作的に育てながら、この里芋の小田原でのブランディング戦略を練り、大規模生産が可能な農地も探し始めた。
「小田原には田んぼがたくさんあります。しかし、今から米農家をやろうという新規就農者は少なく、休耕田が増えているのが実情。里芋は田んぼの土でも育ちますから、大規模化していく際に農地の確保には困らないだろうと考えました」
里芋の大規模栽培のために、細谷さんに最初に休耕田を提供してくれたのは、鬼柳地域の前自治会長だった。「里芋の葉でこの地域を埋め尽くしたい」という細谷さんの熱意を受け止めてくれたのは、細谷さんのそれまでの地道な努力や人柄を信じたからこそ。
こうして昨年から里芋の大規模栽培を始めた細谷さん。1年目の出来栄えはどうだったのだろうか?
「結果から言うと、1年目は大失敗。やってみないと分からないものです。あまりに長く使われていなかった休耕田では畦が脆くなっていたりして、周囲の水田から水が入って来てしまうんです。里芋と稲の生育期が重なっていて、その時期に里芋の畑に水が入りすぎると芋が傷んでしまうんですね。1年目は半分ほどが水没してしまいました」
それでも細谷さんは「北条太郎」の挑戦をやめないと言う。
「この里芋に夢を持っているので、必ず成功させて十分な利益が出せる農業を実現したい。大規模栽培にこだわらなくてもいいんじゃないかと言う人もいます。でも近い将来、日本の農業従事者の数は今の半分以下になると言われています。生産者は単純に今の2倍は作らないと食糧がますます減ってしまう。今以上に他国に食糧を依存するような状況になったら、国際情勢の変化や予期せぬ事態によって、途端に日本に十分な食糧が届かなくなることもあり得るのです。国から農地が保護されている意味、新規就農者に補助金が出る意味を考えると、日本の食糧生産を担う責任があると分かる。多様性の視点からは小規模経営やライフスタイルとしての農業ももちろん尊重しますが、これから新規就農を目指す人には、心の片隅にでも日本の未来を担うんだという気概を持ってもらえたらいいなと思っています」
里芋の加工品も計画。加えて小田原に人を呼べる農業を
細谷さんは里芋畑に改良を施し、今年も「北条太郎」の生産に挑んでいる。次なる挑戦は里芋を使った加工品の開発だ。ここ数年離れて暮らしていた妻も、近く小田原に合流する予定だ。
また、小田原のローカル線の駅からすぐの場所に、まとまった広さの農地を借りる計画も進めている。駅から徒歩圏内のこの畑では、イベントなどを催して東京からの来訪者を呼び込み、小田原の魅力を体感してもらう楽しい企画を展開していきたいと語る。
一進一退しながらも前を向き、着実に小田原での足場を固めてきた細谷さん。細谷さんの活動を通じて、小田原の農業がさらに発展し、希望に満ちた未来が拓かれていくかもしれない。
就農を考えている人へのメッセージ
農業には何かを育てることが好きな人、作物の成長に喜びを感じる人が向いていると思います。でも、それ以上に大切なのが、人とのつながりです。農業は一人では成り立ちません。農業者にとって、情報発信はますます重要になっていくでしょう。もし、情報発信が苦手なら、S N Sにその日の畑の写真を1枚投稿するだけでもいい。まずは簡単なことから始めましょう。
情報発信によって、取引先やお客様に存在を知ってもらえるだけでなく、販路拡大にもつながります。さらに、自分一人では難しい加工品開発に協力してくれる企業や仲間にも出会いやすくなります。そのためにも、自分がどのような人間で、どんなことをしているのかをインターネット上にまとめておくことをお勧めします。
また、これまでの自分のキャリアはどんなものでも必ず農業の役に立ちます。前職で培った経験やスキルは、農業者としての困難を乗り越えていく際の支えになるはずです。過去の経験で得た自分の強みを農業の世界でも活かしてほしいと思います。