2024.11.22
27歳で地元の山形県にUターン移住
洋梨の専業農家で日本一を目指す
寺岡 祐さん/洋なし屋 iGUSL
農園所在地:山形県天童市
就農年数:5年目 2020年就農
生産:洋梨
会社勤めを経て、27歳で就農を決意
ラ・フランスの生産量日本一を誇る山形県天童市。同市で2020年に洋梨の専業農家として就農したのが寺岡祐さんだ。寺岡さんは生まれも育ちも天童市。高校を卒業すると、大学進学のために地元を離れ、卒業後も県外の会社で営業職として働いていた。そんな寺岡さんが、故郷に帰って就農した理由とは何だったのか?
「祖父母が農家で果樹を栽培していたので、子どもの頃から農業を身近に感じていました。でも農家になろうと思ったことはありませんでした。就農を決めた一番の理由は、農業を通して地元を守っていきたいという思いです。故郷を離れている間に、実家の近くでは開発が進み、農地だったところが住宅地や商業施設に変わっていました。帰省するたびに変わっていく景観を目の当たりにして、地元が地元でなくなる寂しさを感じました。就農を決意したのは27歳の時です」
ブランド化を図るため、洋梨の専業農家として就農
就農を思い立ったものの、農業に関する知識も技術もない。そこで、寺岡さんは天童市に隣接する寒河江市の園芸農業研究所で1年間の研修を受けることに。実習が中心のカリキュラムで、洋梨だけでなく、桃やぶどう、さくらんぼなど、果樹全般の栽培管理を学んだ。その中で、洋梨を栽培品目に選んだのは、他の果樹よりも比較的作業工数が少なく、一人でも栽培ができると思ったからだ。一般的に複数の農産物を栽培する農家が多い中で、寺岡さんはあえて他の果樹は育てずに、洋梨専業農家としてブランド化を図ることにした。
就農にあたって課題となったのは、農地確保の問題だ。寺岡さんの祖父母が農園を営んでいた20アールの農地はあったが、生計を成り立たせるだけの収量を得るには、さらに農地が必要だった。
「研修中から農地を探していましたが、一向に条件のいい畑が見つかりませんでした。そのため、市役所や農協、地元の農業委員や周りの先輩農家などに、片っ端から聞いて回りました。車で回りながら農地を探して、良さそうな畑があれば近くの人に話を聞いたりして。最初の年は60アールから始めて、だんだんと面積を増やしてきました。条件のいい農地はなかなかないので、いまでも探し続けています」
資金面で課題に直面、果樹栽培を始めるために必要な3つのもの
もう一つの課題は、資金面のこと。果樹栽培を始めるためには、少なくとも次の3つが必要だったという。
①軽トラック
②乗用草刈機
③スプレーヤ(農薬散布機)
「軽トラックと乗用草刈機は、家族に頭を下げてなんとか購入しました。3つの中で一番高価なスプレーヤは、新品だと800万円くらいします。とても手が出ないので、安く手に入れるためにいろいろな人に聞いて回りました。その中で、ちょうど買い替える予定があるという農家の方がいて、20万円で譲ってもらいました。状態も良かったのでラッキーでした」
就農後の資金繰りも一筋縄ではいかない。現在、寺岡さんは約2ヘクタールの農地を借りているが、そのうち収穫できるのは1ヘクタールほど。残りの半分は苗木を植えてから間もないため、収穫できるのはまだ先だ。洋梨の場合、苗木を植えてから実がなるまでにおよそ5年かかる。安定した収量を見込めるようになるには、15年以上かかるという。すでに木が育っている畑でも、手入れがされていなければ、期待するほどの収量は得られない。
寺岡さんは7つの品種を栽培することで収穫時期の分散を図っているものの、年間を通して収入を得られるわけではない。新規就農者向けの国の支援金制度を活用し、年間150万円の交付を受けているが、来年からは農業だけで売上を立てていかなければならない。
農産物を作って売るだけが農業じゃない
寺岡さんの主な販路は生活協同組合で、その割合は売上額の8割を占める。生協に出荷するようになったのは、農家の叔父から誘いを受けたのがきっかけだ。残りの2割は、農園のオンラインショップでの直販と道の駅などの直売所での販売。生協に出荷する場合は農家側で値決めができず、市場の流通量によって価格が左右されてしまう。そのため、今後は直売の比率を増やしていきたいと話す。
寺岡さんは就農して5年目だが、年々、収量が上がることに伴って売上も上がっている。さらに、年間を通して安定した収入を得るために考えたのが、加工品の販売だ。製造は外部に委託して、昨年から洋梨のジュースやジャムといった加工品を販売している。まだ模索中ではあるが、果樹としてそのまま販売するよりも単価が高く、売上の拡大につながる可能性がある。また、今年からあらたな取り組みも始めた。
「農産物を作って売るだけが農業じゃないと思うんです。今年から法人向けに木のオーナー制を始めました。東京の企業に契約してもらい、会社の福利厚生として活用してもらっています。普段の管理はこちらで行い、収穫物は全てお送りしています。収穫の時には社長が体験に来て、『いつも大変な作業をしてるんだな』と。オーナーになっている4本の木からは、全部で2トンくらいの洋梨が取れて、『こんなにたくさんあって、どうしようかな』とうれしそうに話していました」
農園の屋号「洋なし屋 iGUSL(イグスル)」に込めた思い
営農における苦労がある一方で、農業をすることの面白さややりがいも感じている寺岡さん。その醍醐味とは?
「農作物の生育は自然環境に依存しているので、その年にどれだけ収穫できるかは予想ができません。手を掛けて1年間育てて、結果として納得のいくものを収穫できた時に喜びや面白さを感じます。さらに、それをお客さんが食べて喜んでくれる。SNSのフォロワーからメッセージをもらったり、農園のオンラインショップで商品レビューを書いてもらったり、感謝の言葉をいただくと、農業をやっていて良かったなと感じます」
農家になって良かったと思うのは、仕事の面だけでなく、家族との時間が増えたこと。寺岡さんにはまだ小さい子どもがいるが、農業は時間の融通が効くため、子どもとの時間を作りやすいと言う。会社員の時の生活を考えると、子どもの成長を近くで見られる良さを感じている。インタビューの最後に、寺岡さんに今後の展望を聞いてみた。
「洋梨専業農家としてどこまで突き抜けられるか。まずは洋梨で日本一になりたいですね。全国ナンバーワンのラ・フランスの産地から、洋梨の可能性を広げていきたいです。僕が先頭に立って実績を残すことで、農業でやっていけるんだという可能性を示したい。それで、洋梨を作ってみたいと思う人や山形県の特産品を守りたいという人が増えてくれるとうれしいです。うちの農園だけじゃなくて、産地として盛り上げていきたいですね」
寺岡さんの農園の屋号は、「洋なし屋 iGUSL(イグスル)」。イグスルとは、山形弁で「良くする」という意味。「農業で地域を良くしていきたい」。寺岡さんの屋号には、そんな思いが込められている。
就農を考えている人へのメッセージ
「就農にあたって大切なのは、どこで何を作りたいかということ。そして、なぜ作りたいのかということです。産地ブランドがあるかないかで大きく状況は変わります。産地ブランドが確立されていれば、それが強みになるので売り先もあり、分からないことは周りの農家に聞けます。農業をやる動機を明確にする必要があるのは、それがないとお金を稼ぐためだけの手段になってしまい、楽しさが感じられないからです。自分がやり遂げたい夢や理想があれば、きつい時やつまずいた時でも、『そのためにやっているんだ』と心の支えになります。そして、新規就農で大事なのは、分からないことは周りの人に恥ずかしがらずに聞くこと。周りの人に何と言われようと気にする必要はありません。誰もが始めた時は初心者なのですから」