2024.11.27
会社役員からUターンして有機農家へ。
生産と体験農業を軸に
農業をクリエイティブに発展させる
市原正博さん/いちべじ
農園所在地:鹿児島県霧島市
就農年数:9年目 2015年就農
生産:ニンジン、玉ねぎ、じゃがいも、ピーマン、ズッキーニなど
有機野菜の生産と体験農園を事業の柱に自分らしく経営
大手人材派遣会社で役員を務めていた市原正博さんは45歳の時、約20年の会社員生活にピリオドを打ち、故郷の鹿児島県霧島市へUターン。有機野菜を栽培する自身の農園を開いた。収穫した野菜は地元の学校給食や物産館、有機生産組合へ卸すほか、京都の自然食品店「坂ノ途中」やレストランなどとも直接取引を行い、全量をしっかりと販売している。
加えて、アクセスの良い街なかの畑が手に入ったことをきっかけに、就農前から思い描いていた週末農業体験農園「きりしまロハス」の活動も開始。1年間を通じて、座学と実践により初歩から農業を学ぶこの講座は、すでに7期まで開催され、卒業生たちのゆるやかなコミュニティも形成されつつある。
「農業はクリエイティブ。広範な可能性があります」と語る市原さん。人生の後半、故郷でイキイキと自分らしく事業を営むに至った経緯や、長年ビジネスの場に身を置いていたからこそ得られた経験・知見に基づく計画と行動、そして新規就農者へ向けたアドバイスなどを伺った。
人生の後半は鹿児島で。だったら農業が面白そう
会社員時代は転勤族だった市原さん。若い頃は都会に憧れたものの、35歳頃に地元の鹿児島に赴任して数年住む間に、生まれ育った故郷の空気感が自分の心身に合うことに改めて心地良さを覚えたそうだ。さまざまな地域を経験してきたからこそ地元の大きなポテンシャルに気付き、いずれはUターンして起業しようと心に決めた。
地元で需要や可能性のある事業といえば、介護福祉か農業が浮かんだ。介護福祉は勤めている会社でも関わりがあったが、社会保険の枠内で行う事業であるため他社との差別化に限界があると思い、未知の農業に興味が湧いた。しかし、非農家出身の市原さんにはどうやったら農家になれるのか、そもそも自分は農業に向いているのか、さっぱり分からなかった。30代半ばから40代にかけて、会社の中でも重要なポストを任され、やり甲斐もある日々だったが、農業で起業する構想は前に進まず悶々としていたそう。
そんな中、京都に赴任した際に、週末に有機農業を学べる社会人向けのスクール「スモールファーマーズカレッジ」を発見。まずは農業が自分に向いているのか確かめたいと妻に相談し、一緒に1年間勉強することに。
「野菜を自分でつくってみたら楽しかったのはもちろんですが、他の受講生に刺激を受けました。造園業を営む社長の方が有機農業を学んでベトナムで教えると言っていたり、幼稚園のスタッフの方が園内に農園をつくって子どもたちに教えるために勉強に来ていたり、農業はいろいろな可能性があると知りました。仕事としてやりがいのある、非常にクリエイティブな業種ではないかと感じたんです。今でも日々そう思いますね」
スクールが終わる頃、妻が鹿児島で復職することに決まり、「今を逃したらもうやらないかもしれない」と、市原さんは会社を辞職して鹿児島へ戻ることを決断。人生の舵を切った。
鹿児島でもう1年研修を受けて独立。農地はコミュニティから
Uターンしたものの、生家は非農家だった市原さんには畑も田んぼも無かった。また、京都とは気候・土壌・適した作物も違う鹿児島で農業経験を積む必要があると判断し、鹿児島で有機農業を行っている組織を探してもう1年研修を受けることに。調べてみると、日本最大級の有機農家の組合である「かごしま有機生産組合」が研修生を募集しており、霧島市の有機農家を紹介してもらうことができた。研修は月曜から金曜は研修先の農家を手伝いながら学び、月に何回かは生産組合が行う座学も受けるという内容だ。
「1年間農家のコミュニティに入れば、農地に関する情報も入ってくるだろうと思っていました。予想通り、やはり話が舞い込んできたんです」
そこは、霧島市の標高約300mの中山間地域にある20アールほどの農地だった。持ち主が高齢のため離農するので使ってほしいという。直前まで生産されていたので状態も良好なこの農地の確保を機に、市原さんは自身の有機農園「いちべじ」をスタート。その畑できちんと作物をつくり始めると、見ていた地域の人々から続々と耕作放棄地などが集まり、農園は瞬く間に70アールへ拡大した。
栽培品目と販売先は会社員時代の知見から多面的に検証
市原さんは現在、自身の農園で20品目ほどの野菜を露地栽培している。栽培品目は、農園開始当時から今に至るまでいろいろな野菜をつくってみながら試行錯誤中だという。自分がつくりたい野菜と売れる野菜は違うし、つくりやすい野菜とつくりにくい野菜もあるという。
「たとえば白菜なんかは最も虫がつきやすいので、販売に耐えるきれいなものを有機でつくるのは難しいし、ブロッコリーなども収穫のタイミングを逃すと花が咲いたりして商品になりません。年間でニーズが安定していて栽培も易しいのはニンジン、じゃがいも、玉ねぎ。重量があるので少々大変ですが、保存も効くのでまとめて収穫しておいて、注文があったら出荷するということができる。そういう野菜の方が私には合っていると思います。この先、主力の野菜に絞り込んでいくのか、少量ずついろいろなものをつくっていくのか、探りながらやっていますね」
販路としては、市原さんは学校給食に力を入れていきたいと考えている。地域内の給食センターでは毎日2,000食の給食をつくっているので多量に卸すことができ、自分で車に積んで持っていくため輸送コストがほとんどかからない。給食センターと取引が始まった最初のきっかけは、市原さんが自ら育てた有機のほうれん草を学校の栄養教諭に電話をして持って行き、営業したのだそう。地域で育てた安全で新鮮な野菜を子どもたちに食べさせることができると、非常に喜んでもらえたそうだ。
鹿児島は流通面では不利であるため、遠方への出荷はある程度多くの量を買い取ってくれる取引先に限定している。コストとニーズ、育てやすさや管理のしやすさなど多面的に比較検討して生産・流通・販売を考えていく。ここには会社員時代のビジネス経験が大いに役立っているという。
また、農園開業にあたっての資金は、市原さんは30代半ばでUターン就農すると決めてから退職するまで約10年間と長い準備期間があったため、必要な初期投資額を調べて計画的に貯蓄していたそうだ。その自己資金で最初はトラクターなど必要最小限のものを購入。農水省の農業次世代人材投資資金も2年ほど活用した。そして開業後数年してから、手狭だった作業場の一新と保存用の大きな冷蔵庫の購入にあたり、政策金融公庫からの借入れと霧島市の担い手事業助成金を活用して設備投資を行なっている。
手ぶらで来られる週末有機農業体験農園「きりしまロハス」
市原さんのもう一つの大切な事業が「きりしまロハス」と名付けた、週末に通える有機農業体験農園だ。市原さん自身がそうであったように、農業を始めてみたいが何からやっていいのか分からないという人が必ずいるはずだと考え、就農前から構想していた。しかしこの事業を開始するにあたっては、狙い通りの農地を手に入れることが最重要だと考え、農地が手に入るのを待っていたそうだ。
「体験農園はアクセスが非常に重要だと考えていました。いくら農地があっても、車でしか行けない僻地だと足が遠のいてしまいます。公共交通機関でも来られる街なかにこだわって探していたところ、市役所や警察署などが集まっている中心市街地に10アールほどの畑を借りることができたので、“ここで絶対やろう!”と場を整えました」
手ぶらで気軽に来られることを大事にするため、農機具や備品をしまっておける倉庫を畑の一角に設置し、水やり用の100リットルの雨水タンクも用意。圃場は20㎡の区画に区切り、一人1区画を使って必修野菜と好きな野菜を育てられるようにしている。講座は2月スタート・8月スタートの年2回、受講生は1年をかけて実習と座学で基礎から有機農業を学ぶ。集客はインスタグラム等のSNSで告知し、申し込みフォームを備えたウェブサイトへ誘導。子どもに安心できる野菜を食べさせたいという母親や、レストランのオーナーシェフなど、有機農業に関心の高い人々が受講しているそうだ。卒業生のLINEグループもあり、質問なども受け付けている。
最近は受講生がつくった有機野菜を、卒業生のシェフのお店に持って行き、料理してもらって皆で食べるイベントを行った。自分のつくった野菜が美しいイタリア料理の一皿になるのを見て、受講生は感動していたそう。
また、地域のフィットネスジムともコラボレーションして有機野菜の収穫イベントも開催。健康意識の高いジムの会員で予約は瞬時に埋まり、大好評だったという。このように的確にお客さんや取引先を見つけるため、市原さんは異業種のコミュニティにも積極的に顔を出すようにしている。
「僕は営業畑にいましたので、どうやって野菜をつくるかも大事だけれど、それをどうやって売るかも大事だと思っています。同じ野菜でも持って行く環境によって価値が全く変わる。価値をちゃんと分かってくれる取引先を見つける努力をして売れば、農家の収入も上がってくると思います」
将来はグリーンツーリズムも。半農半Xの仕事の斡旋も視野に
市原さんに今後の事業展開を伺うと、
「今、健全な状態でストレスもなく仕事ができているんです。規模を拡大して人を何人も雇っていく方向だと、自分らしい仕事のやり方が保ちにくくなる懸念もあって、小農でシンプルに、自分ともう一人のスタッフを養って行ける規模で回していくのが良いと考えています。グリーンツーリズムのような取り組みもやっていきたいですね。元々人材ビジネスの業界にいましたから、例えば鹿児島へIターンして暮らしたいが仕事が無いという方に、半農半Xの“X”の部分をどこかの企業と連携して斡旋するような事業も、漠然とですが考えています。そういうふうに考えるのが好きなんですよ」
と語る市原さん。有機農業を起点に、自身が誰より楽しみながら、自身のコミュニティや農業に携わる人を着実に広げていくのではないだろうか。
就農を考えている人へのメッセージ
「農業はすごくクリエイティブで、つくるだけではなく、販売したり、ノウハウを提供したり、異業種と組んだりと、いろいろなことが事業として成り立ちます。頭の柔らかい若い方が参入してきたら、さらに面白くなるでしょう。今の会社が嫌だからとか、人とコミュニケーションが取れないからというような理由ではなく、しっかりと志を持ち、農業をひとつの事業として捉えてほしいと思います。農業は国の補助金など支援も手厚くスタートアップしやすい業種です。自ら土に触れて、自分で野菜をつくって、それで生計が立てられるのは、とても幸せな職業だと思います」