2025.03.26

尾花沢スイカで経営を支え、
宅配野菜でファンとつながる
女性アスリートのセカンドキャリア

丹野朝香さん/朝の香ファーム
農園所在地:山形県尾花沢市、大石田町
就農年数:13年目 2012年就農
生産:スイカ、里芋、長ネギ、キャベツ、枝豆、青菜など

アスリートから農家へ。転身の経緯

山形県の最北東に位置する尾花沢市は、奥羽山脈や出羽丘陵に囲まれた盆地で、冬は平野部でも2メートルに及ぶ積雪を観測する日本屈指の豪雪地帯だ。日照時間も短めで春の雪解けは遅く、農耕期間が短いという特徴がある。農業にはおよそ厳しそうに思える条件だが、実は「尾花沢スイカ」という、とびきり美味しいブランドスイカの特産地でもある。

この地で尾花沢スイカを主力に、宅配用として多品種の野菜も栽培しながら口コミで着実にファンを広げているのが丹野朝香さんだ。隣町の大石田町で就農して13年目、独立してから11年目を迎える。

 丹野さんは山形市の出身で、以前は神奈川県や群馬県の実業団のソフトボールチームで活躍していたアスリート。選手生活を終えたのを機に地元にUターンし、母校の高校のソフトボールチームのコーチをしていた。その時に、丹野さんが高校時代から遠征時のマイクロバスの運転手をしていた米農家の方と再会し、農業を勧められたのが、この道に入ったきっかけだ。祖母が畑をしていたこともあり、小さい頃から土にはなじみがあった丹野さん。持ち前のフットワークの良さとチャレンジ精神から、Uターンして3ヶ月後には、尾花沢市の隣町(大石田町)のその米農家のもとで農業研修を受け始めたというスピード就農ぶりだ。

「現役の時にはセカンドキャリアを考えていたわけではありませんでした。そんな中で農業との出会いがあり、挑戦することにしました」

独立にあたっては研修先の農家から、新規で始めるには大型の機械や設備などが必要な米農家よりも、すでにブランドが確立されている尾花沢スイカを中心とした畑作の方が始めやすく、生計が立てやすいとアドバイスを受けた。農地も斡旋してもらうことができ、作業小屋なども使わせてもらいながら、2014年、丹野さんの「朝の香ファーム」がスタートした。

 ブランドスイカで収入を支え、宅配野菜で人とつながる営農スタイル

丹野さんは現在、1町5反の農地の約5反で尾花沢スイカを生産しながら、残りの農地では里芋、長ネギ、キャベツ、枝豆、青菜を育てて出荷している。また、宅配用として季節に合わせたさまざまな野菜も栽培している。尾花沢はスイカ専門の農家が大多数を占め、広大な面積の農地でスイカだけを生産している人が多い中で、丹野さんのようにスイカ以外のさまざまな野菜も栽培しているのは珍しい。

丹野さんが育てている季節の野菜は主に宅配用だ。公式LINEでお客様と直接つながっており、注文を受けて週に15軒以上は配達に行くという。どのようにしてお客様をつくっていったのだろう?

「最初のお客様は知り合いの女性で、バリバリお仕事をされているキャリアウーマンの方だったんです。買い物に行く時間も惜しいほどお忙しく、『野菜を家に届けてくれない?』と頼まれたことで、こういうニーズがあるんだ!と気づかせていただきました」

それをきっかけに、朝の香ファームの宅配野菜は口コミでじわじわとお客様が増えていったそうだ。

 一方の尾花沢スイカは、山形県内の仲買業者2軒と契約を結び、大部分をそこへ卸している。最近は、地域の直売所などへの出荷も増えてきた。

「最初に農業を教わった農家の方が、直接販売をしている方だったので、“売り先は自分で見つけなきゃいけないものだ”と思って農業を始めました。JAなどの仕組みを知ったのは後から(笑)」

スイカのシーズンになれば全国各地にいるお客様からも注文が届く。実業団時代の先輩や仲間、丹野さんを応援してくれていたファンの方々、そしてそこからの紹介でつながったお客様たちだ。丹野さんが農家となった今でも、丹野さんこだわりの美味しいスイカの味と、ひたむきで応援したくなる人柄が、ご縁をつなぎ続けている。

農耕期間が短い尾花沢の農業は時間との勝負。苦労したのは知識不足

宅配野菜も忙しくなってきたとはいえ、丹野さんの農業経営の中核は、やはり尾花沢スイカの生産。「農作業のほとんどはスイカに追われています(笑)」と言う丹野さんの1年間のスケジュールは、雪解け後の4月下旬、スイカの苗の植え付けから始まる。その後はしばらく苗の成長を待つ傍ら、5月は米農家の田植えを手伝い、6月から8月はスイカのオンシーズン。その間にも少しずつ宅配用の野菜をつくり、届ける。8月にスイカが全部出荷し終わると、休む間もなく畑を片付け、来年の作付けに向けて畑の準備をしなくてはいけない。そして9月には稲刈りの季節がやって来る。

「春に雪が解けてから畑に肥料をやって、ビニールを敷いて…とやっていると時間がかかってしまうので、尾花沢では前年の秋、雪が降る前に畑を整えておかないといけないんですよ。その片付けや準備も早く済ませて、9月からは稲刈りの手伝い。町いちばんの面積の米農家さんの所に行っているので、1ヶ月ぐらいずっと稲刈りをしています」

雪が降ってからは休めるのかと尋ねると、「軽く休めますが、冬は冬で雪かきとか、別の仕事もしているので」と丹野さん。1年を通じてものすごい活動量だ。

「体はとりあえず動きますね。体力は全然問題ない。そういう面ではスポーツをやっていたことが役立っているかな。後はいろいろな仕事をどう組み立てていくかだと思いますが、私は昔から結構予定を詰め込むのが好きで、隙間時間にいろいろ入れるタイプなので、スケジューリングするのも楽しんでいます」

 そんな丹野さんが農業を始めて最も苦労したことは、初期の知識不足だったそうだ。

「植えたら待ってくれない野菜の成長に自分の知識が追いつかず、次は何する? それが終わったら次は? の追いかけっこがずっと続いて大変でした」

周囲の農家や県の農業技術普及課に聞いて知識を蓄えていき、3年ほど経つ頃には一通りの栽培技術や手順が身に付いてきた。その中で、自分自身で良いと思った有機肥料を与えるなど、美味しい野菜をつくるための栽培方法にもこだわりが生まれてきた。

丹野さんの農業の喜び、それは、やはり育てた作物を収穫する時と、食べたお客様に「美味しい」と言っていただくこと。宅配も行っているからこそ、こうした声に直接触れる機会も多い。「野菜嫌いだった子どもが、丹野さんの野菜は食べている」「スイカ嫌いの旦那が、丹野さんのスイカは食べている」などと聞くと、農業をやっていて良かったと思う。

「スイカ専門にすれば効率が良いとは思いますが、私自身も旬の美味しいものを食べるのが好きだし、昔から人と触れ合うことが好きなので、直接野菜を届けられる宅配も大事にしたい。選手時代の長い県外生活で、山形の食べ物は本当に美味しいと実感したので、いろいろな人に食べてほしいという思いがあります。自分で良いと思う品種をセレクトして育て、”こういう食べ方をすると美味しいよ“みたいな情報と共に届けたい」

人を喜ばせるのが昔から好きだと言う丹野さん。自分自身も楽しみながら自然体で、常に前向きに農業に取り組む丹野さんの周りには、これからも人が人を呼ぶ形でたくさんのファンが増えていきそうだ。

 これからの夢。腰を据えて取り組みたいスイカづくりと雇用、農業体験

丹野さんは昨年、ついに尾花沢市内に家を購入した。10年来賃貸で住んでいた、元は空き家だった民家だ。敷地も広く、農作業小屋なども整備できるし、尾花沢市からスイカ生産に関して手厚い支援も受けることができる。

「ようやく腰を据えて、スイカの面積も増やしながら、ここからまた新たなステップに進んでいこうと思っています」

尾花沢市はブランドである尾花沢スイカの生産に市を上げて力を注いでいる。新規就農者への農地や家の紹介、農機具を購入するための初期の補助金などの支援が非常に充実している。ブランドが確立されているため、しっかりと尾花沢スイカを生産することができれば、初年度から十分な収入も得られるため、ここ数年で、都会や他の地域から尾花沢スイカの生産者になるために移住・就農する人も増加しているという。

そんな中で、丹野さんは2025年の3月から、移住者も含む尾花沢市内の女性のスイカ生産者たちと5人で「コシェル」というグループを結成し、尾花沢スイカの魅力をさらに広めていく活動をすることになった。「コシェル」とは山形の訛りで「こしらえる」という意味だそうだ。

「農業の仲間が増えたことが嬉しい。尾花沢スイカの情報も入りやすくなるだろうし、それぞれに情報発信やデザインなど得意な領域を持った方たちと一緒に何かできるのも楽しみ。子育てしているお母さんたちや、働く女性たちが気軽に相談できるような存在でありたいと思っています」と丹野さん。

また、現在は妹さんと2人で取り組んでいる朝の香ファームだが、経営が順調に伸びていくに従い労働力も足りなくなりつつあり、地元の方や友達に手伝ってもらっている。冬の間の雇用が難しいことが課題ではあるものの、通年雇用を目指してスタッフも雇っていきたいそうだ。雇用には、丹野さん自身の経験も鑑み、アスリートたちのセカンドキャリアとしての受け入れも視野に入れている。

「今は余力がないのですが、いずれは農業体験などもやっていきたい。農業はとても楽しいことなので、一緒に畑で土に触れて美味しいものをつくる感動を多くの人と共有したい。まずはLINEでつながっているお客様と1回やってみようかな」

尾花沢で野菜の収穫を楽しめるようになるのは6月下旬とのこと。丹野さんの畑に仲間やファンが集い、新たな農業の輪が始まっていく楽しげな景色が見られる日も遠くはなさそうだ。

 就農を考えている人へのメッセージ

「美味しいもの、ベーシックなものをしっかりとつくれることが何をおいても大事。まずは基本的な野菜を、虫食いや枯れたりさせないでちゃんと栽培し、しっかりと収量を上げるというのが最低限必要なことだと思います。それができて初めて収入も得られ、生活を成り立たせていくことができるので、そこを支えるための知識は学ぶ必要があります。また、尾花沢のようにブランドとなる作物があり、新規就農者へのサポートが充実していて、初年度から採算が取れるような地域で就農することもポイントの一つではないでしょうか」

「After 5 オンライン就農セミナー」にて、丹野さんをゲストに就農までの経緯やご自身の体験談を語っていただきました。その様子を下記の動画よりご視聴ください。