2021.09.13
放送作家から有機栽培農家へ。
農産物サブスクリプションで、未来を切り開く
成田周平さん/ 成田ふぁーむ
農園所在地:大阪府豊能郡能勢町
就農年数:9年目
生産:トマト、葉物野菜、レタス、大根、たまねぎ、じゃがいも、ズッキーニ、おくらなど。
農業ビジネスコンテスト最優秀賞獲得!
CSA(地域支援型農業)で、有機野菜をもっと多くの人に
大阪の最北端に位置する能勢町で、有機野菜を手掛けている成田周平さんは、未経験から農業をスタートした人物だ。2010年から農業研修を受け、2012年に独立。現在、所有する約250aの農地において、露地栽培とハウス栽培で、旬の野菜を少量多品目ですべて有機栽培している。
そんな成田さんは、独立9年目となる2021年1月、大きな挑戦のきっかけを掴んだ。大阪府とJAグループ大阪の共同事業である「第4回おおさかNo-1グランプリ」にて最優秀賞を獲得したのだ。
「おおさかNo-1グランプリ」とは、農業経営強化のためのビジネスプランコンテスト。受賞者には特典としてプラン実現資金10~200万円が渡されることもあり、毎年多くの応募者が集まる。
そのコンテストに成田さんが提出したのは、「CSA(地域支援型農業)を軸とした野菜セットの販売プラン」だ。CSAは欧米などに広がっている農業生産システムで、消費者から前払いで料金をもらい、その資金で産者が野菜を栽培。収穫した野菜を消費者のもとへ定期的に届けるという仕組みのことを指す。
「応募のそもそものきっかけは、もっと有機野菜を気軽に購入し、食べてもらえるようにしたい。その魅力をもっとたくさんの人に知ってもらいたいという思いです」
現在の販路は90%が宅配サービス系企業への出荷だという成田さん。流通企業を介した販売においては、有機野菜はどうしても他の野菜より値がはってしまう。価格を下げて手軽に食べてもらうためには直販が望ましいが、直販では売上の見通しが立ちづらく、売れ残りも出てしまいがちだ。これらの課題を解決する方法として成田さんが目をつけたのがCSAだった。
成田さんのプランでは、まず会員を募り、彼らが前払いした代金をもとに農家が農産物を生産。月二回野菜セットを彼らに届ける。また、会員が野菜を取りに来る負担を軽減するため、能勢町や大阪市内にピックアップステーションを設置。各自、都合の良い場所、時間帯を選び、そこから野菜をピックアップするしくみを敷いた。
「この仕組みを使って、有機野菜の良さを広め、能勢町の農産物ファンをもっと増やしていきたいんです。能勢町は本当に居心地がよくて、私にとって第二の故郷であり、ずっと暮らしていきたい場所。能勢町を盛り上げることで、いつもあたたかく応援してくれる地域の皆さんに、恩返しができればと思っています」
ここまで農業や能勢町に熱い思いを持つ成田さんは、この10年、いったいどのような経験をし、何を考えてきたのだろうか。ここからは、成田さんの就農ストーリーをじっくりと振り返っていきたい。
人気放送作家という職を捨てて、
飛び込んだ農業への道
兵庫県出身の成田さんは、高校卒業後、コンピューター関連の専門学校を経て、約2年間プログラマーとして働いた。そしてその後、シナリオ学校で勉強を重ね、かねてから憧れていた放送作家に転身する。
放送作家時代は、関西のテレビ局でバラエティ番組や情報番組などを担当。人気作家として忙しく活躍していた。
「ずっと憧れていた仕事につくことができて、たくさんの仲間にも恵まれて、やりがいもありました」
そんな仕事から離れることを考え始めたのは、取材でいくつかの農家を訪れたことがきっかけだ。どこにいっても農家の印象は「とにかく、みんな楽しそうだった」と成田さんは言う。
農作物のことなど何も知らない成田さんに、自らの栽培したハバネロをかじってみさせ、辛くて驚くと、その表情を見て楽しそうにケラケラと笑っている農家の人。日が昇ると作業をし、日が落ちると仕事を終えるという自然な働き方が、彼らをより生き生きと見せた。
一方で、放送作家の仕事は確かに楽しかったが、年齢を重ねるにつれ、「ずっと続けていけるのだろうか」と不安が募っていた。昼夜逆転に近い生活が続くこともあり、体重はいつのまにか100㎏を超過。また、番組作りに必要なセンスを持ち続けることが、年齢を重ねるたびに難しくなっていくように感じていた。
「次に仕事にするなら、絶対に農業がいい」
そう決心した成田さんは、2009年3月に8年続けた放送作家の仕事を辞めた。退職時には、70~80人の仲間たちが送別会を開いてくれたというだけに、去りがたい気持ちもあったのではないか。
「迷いはありました。でも、自分で決めたことなので、やるしかないなと。お世話になった方たちに、本当にあたたかく送り出してもらって、もう後戻りはできない、と覚悟を決めることができましたね」
そしてそこからいよいよ、成田さんの農家への道が始まった。
研修先で学んだ有機野菜の魅力と、
地域、仲間のありがたみ
成田さんが本格的に研修に励んだのは、能勢町で有機農業を営む原田ふぁーむだ。
最初から有機農業をやりたいと思っていたわけではない。たまたま研修先の原田ふぁーむが有機農業を手掛けていて、作業を共にしているうちに、原田さんの有機農業にかける思いに深く共感し、自分もやってみたいと思うようになった。
「有機栽培は環境に優しい農法です。原田さんは、生まれ育ったこの町の風景を汚したくない、ずっと残していきたいんだと言っていて、自分もそうしたいと思うようになりました」
研修で初めて足を踏み入れたという能勢町。初夏には蛍が飛ぶ川などもあり、自然豊かなその風景に成田さんも惹きつけられたのだ。
2011年秋、約1年半の研修を経て、成田さんはいよいよ独立。25aの土地は、原田さんの紹介で借りることができた。研修中に地域の消防団などにも入り、周囲の人たちと関係性づくりにはげんでいたこともあり、応援してくれる人がどんどん増えた。2年目には、さらに近隣の土地を借り、畑は50aまで拡大。さらに3年目には有機JAS認証を取得し、2018年には250aまで農地を拡大して順調な経営を行えるようになった。
手掛けるのは一貫して、原田さんから引き継いだ有機農法。あぶらかすや動物性堆肥を使用し、化学系肥料や農薬は使わない。病気の蔓延を防ぐために密植しないなどの工夫が必要で、場所も手間もかかる農法だ。しかし、地域環境に優しく、安心安全な野菜を栽培できることが、成田さんは誇らしかった。
また同時に、成田さんは若手農業者のネットワークづくりにも力を注いだ。研修生受け入れなどで、能勢町に若手農業者が移住してくるようになったのをきっかけに、昔あった農業者の集まり「4Hクラブ」を復活させたいと、役場などに申し出たのだ。目的は、情報交換や地域貢献だ。
「4Hクラブでは、年数回集まり、畑の見学会や河川掃除をしたり、収穫祭で野菜を販売したりしています。お互いに苦しい時は助け合う仲間ですね」
近年は大雨によって能勢町の農家にもたくさんの被害が出た。流されたビニールハウスもあり、その片付けに仲間たちが集まったのだという。特に2018年は、7月の西日本豪雨で畑が水没し、ようやく片付けて再度野菜を植えたら、また9月に台風で河川氾濫が起きるという災難に見舞われた。
「さすがに落ち込んで、原田ふぁーむにふらっと行ってみたら、今日はもう仕事を休んでみんなでBBQしよう、と原田さんが言ってくれて(笑)。原田ふぁーむに元研修生や近所の農家が集まったんです。みんなでワイワイと食事をしたら、落ち込んでいた気持ちも前向きになってきて、なんとかまたがんばろうと思えましたね」
仲間の存在がこの時ほど心に沁みたことはない。そう成田さんは振り返った。そして、その仲間と一緒に、自分たちをずっと応援し続けてくれた能勢町と、地元の人達に恩返しをしていきたいのだと語った。
CSAで広げていく、農業の可能性と
後継者たちのネットワーク
話を聞いているうちに、冒頭で紹介した成田さんの「CSA(地域支援型農業)野菜販売プラン」がなぜ誕生したのかが、おのずとわかってきた。プレゼンテーションの題名「CSAで繋がろう!能勢町農業者と消費者のココロを密に!」には、成田さんの地域へ思いがしっかりと込められている。
実現にあたり、このCSAサービス名は「のせすく(能勢×サブスクリプション)」となった。2021年春から会員を募集。さっそく30名の会員には6月から「能勢産の有機野菜」が届けられているという。
「“のせすく”によって、初めて大阪市内に住んでいる放送作家時代の仲間たちにも自分の野菜を届けられるようになりました。会員のみなさんからは、“こんな料理を作って食べました”という報告があったり、豪雨があると“大丈夫ですか?”とメールが来たり、本当につながっているなと感じられます。やっぱり、待ってくれる人の顔が見えると、がんばる意欲がわいてきますよね」
「会員の皆さんが美味しいと驚いてくれるような有機野菜をつくりたい」と意気込む成田さん。今後、「のせすく」は会員数を拡大し、さらに成田さんの手から、広く能勢町の農家の手へと広がっていく予定だ。
「今も、若手農家の手掛けた野菜を1品入れるなどしているのですが、今後は、もっと多くの農業者がチームとなって商品づくりをしていけたらと考えています。また、農作物だけでなく、パンなどの加工品なども商品に加えるなど、様々な方向性を考えていきたいですね」
さらに、新型コロナウイルスの流行が収まった暁には、能勢町の名産である栗の植樹を会員と一緒に行い、3年経って実が成るころには、栗拾いイベントを実施するなどの計画もあたためている。
たくさんの人が、能勢産の農作物、加工品を食べて、もっともっと能勢町に親しみを持ってくれるように。有機野菜の魅力を広く伝えられるように。
成田さんの挑戦はまだまだ始まったばかりだ。