2021.10.27
たった1人のUターン就農。
観光農園から町を盛り上げる存在に
黒沼 清寿さん/ 農事組合法人「おおき農業塾ラ・フレーズ」代表理事
農園所在地:福岡県三潴郡大木町
就農年数:7年目
生産: イチゴ
塾講師からの転身。自ら目標を決め、
仕事に取り組むことができる農業の道へ
黒沼さんが就農を決めたのは、首都圏の学習塾で8年ほど勤めた後のことだ。
出身は福岡県。大学進学で九州を離れ、東京農業大学北海道オホーツク網走キャンパスで4年間を過ごしたが、そこで学んだのは農業経営や流通について。実際に土に触れ、作物を育てることはなかったのだと言う。
大学時代に教員免許を取得した黒沼さんは学習塾に就職。京都、滋賀を皮切りに、東京、千葉、神奈川などの首都圏を中心とした教室で講師、および教室運営に携わった。
そんな黒沼さんが「このままでいいのか」と自分の人生を考えるようになったのは、ちょうど30歳を迎えようとしていたころだ。午後から出勤し、夜遅くまで塾で生徒たちに向き合う塾講師の生活は、例えば家庭を持つとしたら、ずっと続けられるものではないのかもしれないと思い始めていた。さらにもうひとつ、「自分で納得できる時間の使い方をしたい」という思いもあった。
「生徒たちの成長を見ることができる塾の仕事はとてもやりがいがありました。でも、会社のノルマや定められた目標などもあり、自分自身で何かを決めて行動できる機会は多くなかったんです。その点で、農業は自分が作りたいと思った作物を生産し、自ら経営計画を立てて仕事ができる。それがとても魅力的に感じました」
塾の仕事とは全く畑違いの仕事。その点に不安はなかったかと聞くと、「それすらもよくわからなかった」と黒沼さんは笑った。
「東京農大を卒業したものの、作物には全く関わってこなかったので、何が不安要素なのかがわからなかったんですね、きっと。(笑)ただ、耕作放棄地の問題などは聞いていたので、とにかく作物のことを学び、そういった農地を借りて農業を始めようと思ったんです」
就農について情報収集した黒沼さんは、全国に農業大学校があるのを知り、入学を決心する。場所は高校まで過ごした福岡。すでに両親は関東に居を移していたが、何人かの友達もいた。まったく見知らぬ地というわけではないことが決め手だった。
30歳で農業大学校に入学した黒沼さんは、野菜コースを選択。授業は座学と実習が半々で、品目が決まっている人はその品目について深く勉強することもできた。黒沼さんの場合、決定していたのは「自分で農業をすること」だけだった。品目は決めておらず、どこかの法人に就職する気もなかった。だからこそ、大学校では広く様々な品目の生産について学んだ。
クラスメイトには20歳前後の農家子弟の若者が多く、黒沼さんたちオーバーエイジ組は全体の1割程度。在学中は学費無料とはいえ寮費などもかかるため、黒沼さんは前職で蓄えた貯金を少しずつ切り崩しながら生活した。
「野菜、花、果樹、畜産、水田などそれぞれのコースに分かれて学ぶのですが、初めて知ることが多く、大学校での生活はとても楽しかったですね。若者たちに交じって学ぶというのも、塾時代を思い起こさせる雰囲気ですぐになじむことができました。ただ、想定外のできごともありました」
想定外のできごととは、「借りられる農地はたくさんあるだろう」と高をくくっていた農地についてだった。確かに耕作放棄地はたくさんあったが、福岡出身とはいえ見ず知らずの就農者ではない若者の黒沼さんに、農地を貸そうという人が現れなかったのだ。
「今思えば当たり前なんですが、農家の皆さんは、長年大事にしてきた農地をそう簡単に知らない人に貸そうとはしないんですよ」と苦笑いして当時を振り返る黒沼さん。ようやく農業ができる場所が見つかったのは卒業の半年前だったという。
場所は福岡県南西部に位置する大木町。あるアスパラガス農家が引退するため、畑を引き継いでくれる人を探しているという話が大学校の先生を通じて舞い込んだのだ。黒沼さんは、このアスパラガス農家で約9ヶ月の研修を経て、5年間農地を借りる契約をし、アスパラガス農家として新規就農を果たすことになった。
初めて手掛けたアスパラ。そして
転機となる観光農園のイチゴ生産スタート
農家での研修中は「学校で習ったことを実施することで精いっぱいだった」という黒沼さん。それでも農場主の技術を見て覚え、倣って身に着ける毎日の中で、次第に技術と農場主や従業員の信頼を獲得していった。
農場はもちろん農機具なども好きにつかっていいと言われていたが、老朽化したものは買い替えなくてはならない。新規就農者を対象にした国からの支援金などは、農機具や軽トラックの購入費用に充てたという。
順調に生産を続けていた黒沼さんに、転機が訪れたのはアスパラ農家になって2年後のことだ。「イチゴの観光農園をやってみないか」と大木町の役場から声をかけられたのだ。
アスパラ畑の契約はまだ3年残っていた。だが、「イチゴの観光農園」に挑戦したい気持ちもあり黒沼さんは悩んだ。
アスパラの生産は、一度株を植えれば10年~15年はその株で生産が可能だ。しかし、いったん植え替えれば、生産が軌道に乗るまでに3年はかかるのだという。黒沼さんが引き継いだのは8年目の株だったこともあり、5年経過した頃には今あるアスパラは13年目の株になる。契約更新してアスパラの植え替え時期を乗り越えたとしても、売り上げを安定させるまでは厳しい生活が続くことが予想された。
「アスパラ農家を続けるか、イチゴの生産に方向転換をするか。イチゴの生産は一から学び直すことになるので大変ではありますが、苦労よりも、挑戦してみたいという気持ちが勝っていました」
こうして黒沼さんが手掛けることになったのが、イチゴの観光農園ラ・フレーズだ。2017年1月にオープンしたこの観光農園は、町が運営する道の駅「おおき」に隣接し、駅内のレストランでは農園で獲れたイチゴを使ったメニューも出されている。
ゼロからのスタートだったイチゴの生産技術については、イチゴの生産経験がある大学校時代の同級生を誘って雇い入れ、ともに作業をしながら学んだ。最初に声をかけてくれた役場の産業振興課の職員たちのサポートも受けながら観光農園はスタートを切り、順調に売り上げを伸ばしていった。
「やっぱり土耕が一番美味しい」という黒沼さんは、5連棟のハウスを使ってイチゴを土耕栽培している。収穫してその場でイチゴを食べるので、農薬は常に控えめに使用し、安全で美味しいイチゴの生産を目指す。基本的には収穫体験でイチゴを収穫し、余ったものがあれば隣の道の駅で販売する。およそこれで売り切ることができた。
観光農園では、客がハウスに入りしゃがみこんでイチゴを獲るので、通常より畝と畝の間隔を広く保たなければならない。生産できる量は一般的なハウスよりも少なくなるが、その中でいかに上手に、安心して食べてもらえるイチゴを作っていくかが、この仕事の面白みだと黒沼さんは教えてくれた。
「やっぱり目の前で美味しいと言ってもらえると嬉しいですよ。夢中になって食べている子供たちの姿をみるとやりがいを感じます。また来た時にも楽しんでもらえるように、安定的に美味しいイチゴを作っていきたいですね」
もっと早く始めておけばよかった。
農業の楽しさを共有できる仲間との出会いに感謝を
現在、観光農園のオープンから4年が経ち、黒沼さんは観光農園をさらに広げていきたいと考えている。もっとハウス面積を広げ、さらに大木町の観光地のひとつである道の駅を盛り上げてきたいという思いがあるのだ。また、米の生産についても意欲を見せた。
「大木町はイチゴに加えて米の生産も盛んだったのですが、最近は米農家が減ってきています。生産者の高齢化で引き継ぐ人がいないままの田んぼも、たくさん見かけるようになりました。ぜひ、そういった農地を活用して米や麦の生産をしていきたいと思っています。田植えや稲刈り体験、収穫後には新米やパンを作って食べる体験教室を開くなど、町を盛り立てるために、まだまだできることがあるのではと考えているところです」
さらに2020年、黒沼さんは農業組合法人「おおき農業塾ラ・フレーズ」を設立し、代表理事となっている。現在、従業員3名、パート1名。これまで行っていた観光農園の運営をこの法人にて実施するということだが、組織だって運営していくことで、今後は人材育成などにも力を入れることができればと考えている。
取材の最後に、東京から1人で福岡にやってきた黒沼さんが、ここまで非常に順調に農業を営んでこられたのはなぜか、を聞いてみると、こんな答えが返ってきた。
「農業大学校でたくさんの仲間たちと出会えたことが大きいと思います。アスパラを作るときも、イチゴを作るときも、専門的にその品目を勉強していた仲間に声をかけて、一緒に生産に取り組んできました。野菜、果樹、酪農まで仲間に声をかければマルシェができあがるんです。何かあったら相談できる、本当にいい仲間たちです」
現在も農業大学校には講演に行ったり、採用活動に行ったりしているという黒沼さん。農業大学校から、新たな農業の担い手がどんどん出てきれくれることを期待している。
話を聞いていると黒沼さんは、塾講師から農家に転身し、その暮らしをとても楽しんでいた。それは当初の思いどおり、「自らの意思で目標を決め、それに向かって何をするかを決める」ことができるからだ。
「以前はスーツで働いていましたが、今はラフな格好で畑にでる。その身軽さも好きです。計画もスケジュールも自らコントロールし、一生懸命やっていれば植物たちはちゃんと答えてくれる。仕事の手ごたえを感じられるのが農家の仕事です。今は、もっと早く農業を始めていればよかったと思っています」
現在は一児の父となった黒沼さん。これからは家族の時間も取りつつ、観光農園ラ・フレーズから、町をもっと活気づけられればと意気込んでいる。Uターン就農家として、今後、ふるさとをどう盛り上げていくのか、楽しみでならない。