2022.12.16

イチゴに出会って人生が輝き始めた。知識も資金も
ゼロからの出発で伊勢最大級のイチゴ農家へ

倉野佳典さん/伊勢苺園(伊勢ストロベリーランド)
農園所在地:三重県伊勢市
就農年数:11年目 2011年就農
生産:イチゴ(三重県が開発した香り高い品種「かおり野」、日本で初めて実用化された種子繁殖型品種「よつぼし」)

いつも自分に正直でいたい。一から自分が手がけたものを届けたくてイチゴ農家の道へ

真っ赤なメガネがトレードマーク。自分のことを「イチゴオヤジ」と呼んでイチゴへの愛を熱く語る倉野佳典さんは2011年、生まれ育った三重県伊勢市でイチゴ農家となった。

伊勢神宮でおなじみの伊勢市は、実は古くからのイチゴの名産地。その北西部を流れる一級河川・宮川のほとりに位置する小俣町に、倉野さんが経営する「伊勢苺園」はある。現在の作付面積は約42アール。個人事業主として農園を運営し、専従者である母親の他に正社員1名、パート・アルバイト4名と一緒にこだわりのイチゴ作りに励んでいる。

 農家になる前の倉野さんは、奈良大学文学部を卒業後、コピー機の営業マンをしていた。地元や東京の営業所で懸命に売り上げを伸ばし、トップ営業マンにまでのぼり詰めた。しかしある時、会社の都合で決められる売上目標や、それを達成するために必死で働く日々に疑問が湧いた。自分が作ったわけではない商品の不良に対応することにもジレンマを感じ、いつしか「一から自分が手がけたものをお客さまに届けたい。自分に正直でいられる仕事がしたい」と思うようになった。

その後、数社を転々とし、派遣スタッフやフリーターも経験した後、2010年、倉野さんは農業研修の門を叩く。ちょうどその頃は作り手の顔が見える安心・安全な食べものを求める人が増え、世間の農業に対する関心が高まり始めた時でもあり、「農業なら未経験の自分にもできるのでは」という期待もあった。ところが周囲は大反対。知識も資金もゼロなのに、農業を職業として、ましてや経営者になるなんて、と親族や地域の人、サラリーマンをしている友人などからは全く理解されなかったという。

「でもね、これは私の覚悟を試す“振るい落とし”みたいなものだと思ったんです。ちょっと批判的なことを言われたくらいでやめるなら、所詮その程度。誰に何と言われようと、農業をやるって決めていたので」

生産する作物は、誰からも美味しいと喜んでもらえる「イチゴ」に決めた。もともと産地であるから気候・風土の適性もあるだろうし、現実的な採算も見通しが立つ。

 地元であるにも関わらず、小俣町がイチゴの産地であることを知らずに育った倉野さん。町の人口は減少しつつあり、高齢化や後継ぎ不在を理由にやめてしまうイチゴ農家も出始めていた。「自分がイチゴ農家になることで、地元を活気づけることができるかもしれない」。2011年、倉野さんは、イチゴ農家をやめる方からそのままビニールハウスを借り受け、9アールの小さな農園で、一人でイチゴ作りを始めた。

「当時は壮大な計画などはあまりなく、『とにかく自分で作ったイチゴを出荷したい!』という思いでした。実際に栽培をしながら、他の農家さんと比べて収量が少ないな、なぜだろう、どうやったらいいんだろうと試行錯誤しながら進んでいった感じです」

こうして農家の道を歩み始めた倉野さんだが、その後、立て続けに想定外の苦難に遭遇することになる。

竜巻、大雪、台風…、相次ぐ自然災害に見舞われるも再起。その原動力とは?

 2013年と2014年、伊勢市は100年に一度と言われるほどの巨大な竜巻と大雪に見舞われ、少しずつ生産規模を拡大していた倉野さんのビニールハウスも壊滅的な打撃を受けた。両親から土地を借り、なんとかビニールハウスを再建しイチゴ作りを再開したものの、2018 年には台風に襲われ、またもやビニールハウスは大破。大切に育ててきたイチゴは水に浸かった。

「一度なら再起もできるけれど、こうも続けてやられると、もうダメかなと…」厳しい試練の連続に挫けそうになった倉野さんを支えたのは、かつては就農に反対していた両親や取引先、周りの農家、地域の人々からの励ましの声だった。

そんな苦しい時期を乗り越えた2019年に、倉野さんのイチゴが日本有機農業普及協会の主催する「オーガニック・エコ・フェスタ2019」のイチゴ部門で最優秀賞を受賞する。知識も技術もない所から、日々トライ&エラーを繰り返して育てた倉野さんのイチゴは、糖度の高さや豊富に含まれるビタミンCの抗酸化力が客観的データでも抜きん出ていた。地道な努力の成果が社会的な場で認められ、大きな自信につながった。

 営業マンをしていた頃は新規開拓の担当だった倉野さん。「何もない所に何かを作るのが、私の得意なことだ」と再び自分を奮い立たせた。受賞の同年、倉野さんはこれまで借りていたビニールハウスを全て返却し、自前のビニールハウスと事務所兼作業場を新たに建設。自分の作ったイチゴを直接お客さまに届けるため、前代未聞のイチゴの自動販売機まで設置した。「商品を売る前に、自分の人間性を売るんだ」。営業マン時代に先輩から何度も言われた言葉を胸に、真っ赤なメガネや洋服でアピールし、たくさんの人に覚えてもらえるよう工夫した。

 こうした奮闘の結果、倉野さんのイチゴの作付面積は伊勢市内でも最大級となり、農園の間を通る道路に「イチゴ通り」と名前をつけるまでに復活と発展を遂げたのだ。

空気にまでこだわって。イチゴ作りの楽しさと、安定した経営を成り立たせるために重要なこと

倉野さんのイチゴにかける思いの強さは、栽培方法のこだわりにも表れている。大事にしているポイントは水、空気、土だ。イチゴは90%以上が水分でできているからこそ水にこだわり、伊勢の地下水を、井戸を掘って汲み上げ与えている。水質も細かく分析し、必要なミネラル分を混ぜ込む。土には微生物たちが住みやすいよう菌や堆肥、有機物を豊富に入れ、太陽にたっぷり当ててフカフカに。土壌診断も行って微量ミネラル分を調整し、元気に根っこが張っているかをチェック。さらには空気にまで気を配り、イチゴたちがしっかりと成長し、葉っぱでたくさんの糖を作り出せるよう、温度、湿度、日射量、二酸化炭素の量などを視覚化して光合成の環境を最適に整えている。データだけでなく、自分の五感を総動員して栽培にあたる。

 だからこそ、倉野さんのイチゴは真っ赤でツヤツヤとしていて元気が良く、栄養素をたっぷり含んでとびきり甘い。育てたイチゴたちの親みたいなものだから、倉野さんは自分のことを「イチゴオヤジ」と呼ぶのである。

また、倉野さんは農業を採算性のある事業として営んでいく上で、次のようなことを重要視している。

「商品がない時期をいかになくすか、そして自分の農産物のファンをいかに作るかがポイントだと思います。いくらコンテストで賞を取っても、お客さまが買いたい時に買えないとなると離れてしまいますから、コンスタントにおいしいものを作れる技術が大事。またスーパーなどで安いイチゴも販売されているので、伊勢苺園のイチゴが良いと言ってくださるファンを作ることが重要です。そのため私はパッケージやロゴにもこだわっています。ファンが増えると、自分が提供したい値段で提供できるので手堅い経営ができます」

 農業はごまかしが利かない、やればやるほど奥が深いという倉野さん。営業マンだった時の「一から自分が手がけたものを売りたい」という思いは、今や現実のものとなった。農業を始めて、倉野さん自身の生き方や考え方に変化はあったのだろうか。

「夢は叶うものだと、イチゴ農家になって確信しました。高校受験に失敗して以来、劣等感が強く、夢もやりたいこともなく生きてきましたが、社会で何か活躍したいという思いはずっとあり、イチゴに出会って人生が好転しました。技術も才能もなくても『こういうふうになりたい』と思ってやり続ければきっと叶います。私は、例えば朝の9時から夕方5時まで同じ場所でじっと働くことや、組織の中で協調性を持ってやっていくことは苦手だけど、新しいものを生み出していくのは得意。苦手なことやできないことは人に助けてもらいながら、誰もやってこなかったことに挑戦していくのが私の役割かなと思っていますし、それで生かされていると感じています」

 毎年、地元の農業高校から実習生を受け入れ、近年は三重県南部でスタートした「伊勢いちごスマート農業研究会」の会長も務めるなど、次世代農家の育成やICT等の先端技術を活用した新しい農業にも取り組み始めている。そんな倉野さんに今後の展望を尋ねてみると、

「イチゴ通りを作るという夢を叶えたので、今後はさらに農園を拡張して、“イチゴの王国”を作るのが夢です。私が王国の王様(笑)。伊勢神宮の他にあまり有名なスポットがない伊勢が、“イチゴの町”として認知してもらえるだけでも地元のためになると思っています。イチゴ農園を中心に、周囲に他の作物の農園ができたり、カフェをやりたいという人が現れたりして、複合的な楽しい場所として広がっていくといいなと」

 劣等感でいっぱいの人生から、困難をも糧にして夢を叶え、人生を力強く生きる自分へ。イチゴ作りを通じて内面からも大きく変わった倉野さんから、たくさんの勇気をいただいた。

就農を考えている人へのメッセージ

明確な将来像と熱い想いを持つことが大切。やりたいことや夢を持っていろいろな所へ足を運び、さまざまな人に会うことで、有益な情報を教えてもらえたり、助けてもらえたりします。

また、作物を大量に生産することも大事ですが、“美味しいものだけを届けたい”というこだわりをぜひ持ってほしいです。お客さまに喜ばれれば、利益はあとからついてきます。自然災害や気候の変化など大変なことも多いですが、ぶれずに農作物に向き合い、対話して、質の良い作物を育ててもらえたらと思います。

 

「After 5 オンライン就農セミナー」にて、倉野さんをゲストに就農までの経緯やご自身の体験談を語っていただきました。

その様子を下記の動画よりご視聴ください!