2023.01.06
元銀行員が第三者承継で掴んだ起業の夢。
農業を軸にジム経営や講師活動を展開し、
安定的な収益基盤を拡大
関澤 征史郎さん/浅小井農園
農園所在地:滋賀県近江八幡市
就農年数: 2年目 2020年就農
生産:ミディトマト(中玉)「朝恋トマト」、大玉トマト「マッスルトマト」
バイタリティ溢れる起業家たちにあこがれ、
銀行員から農家に転身
滋賀県近江八幡市の水郷と田園に囲まれた場所に、ミディトマト「朝恋トマト」の栽培を手掛ける「浅小井農園」はある。広さ80アール、軒高4mの大型ハウスに最先端の環境制御システムを導入し、コンピュータで温度、湿度、CO²濃度、日射量、潅水量を制御。地下20mから湧き出る水温16℃の湧水を使って栽培されたミディトマトは、毎年11月から翌年7月までの間、甘い実をつけ続ける。
浅小井農園の社長、関澤征史郎さんは元メガバンクの銀行員で、全国の支店で法人営業として融資などに携わってきた。そんな関澤さんが、なぜ農業に転職したのか。そこにあったのは、「このまま銀行で課長から支店長へと昇進していく未来は、面白くないのではないか」という思いだった。
「その頃お付き合いのあった中小企業の社長たちは、皆さん自由な発想でバイタリティ豊かに活動していて、すごく魅力的に見えたんです。次第に、自分も経営者となって活躍したいと思うようになっていきました」
起業を模索していた中で出会ったのが農業だ。調べてみると、就農支援における公的な融資制度(青年等就農資金、就農準備資金、経営発展支援事業など)は驚くほどに手厚いものだった。特に18歳以上45歳未満の新規就農者に適用される青年等就農資金は、銀行員の関澤さんの目から見ても、「こんな有利な条件の融資は見たことがない」と驚くほどだった。
これをきっかけに農業への転職を真剣に考え始めた関澤さんは、「青年等就農資金が利用できるうちに」と、36歳で就農することを決断する。だが、安定していた生活が一変することに妻は難色を示した。
「プレゼン資料を作って妻を説得しました(笑)。これからの農業には成長性とチャンスがあると説明し、貯金残高が一定額以下になったら、農業をやめて再就職するという約束もしました」
関澤さんは、もし農業をするなら自身と妻の出身地である関西圏でと考えていた。当時住んでいた関東から関西に移住できることは妻にとって大きなメリットとなり、関澤さんの説得工作はみごと成功する。そしていよいよ2017年から、仕事を続けつつ、週末はアグリイノベーション大学校に通う生活を始めた。
「働きながらの通学だったので、週末だけ授業が実施されていた東京のアグリイノベーション大学校を選択しました。銀行に勤めている間は、転勤になる可能性があります。もし途中で関西に転勤することになっても、アグリイノベーション大学校であれば、関西にも学校があります。途中退学することなく通い続けられることも、この学校を選択した理由の一つです」
東京でコースを修了した関澤さんは、2018年3月に銀行を退職。予定どおり関西の地で農地探しをスタートした。しかし、農地探しは想像よりもはるかに難航したという。
「私の地元である兵庫県や京都、大阪でも土地を探しましたが、全く見つからず……。そんな時、妻の出身地である滋賀県の東近江市が新規就農者を手厚くサポートしていると聞き、その地で就農活動を始めました」
ゼロから就農する過酷さの一方、
プラットフォームが活用できる「第三者承継」の安定感を実感
東近江市での就農を決めた関澤さん。ただ、自身の栽培技術がまだ十分ではないことに不安もあった。農業大学校の座学や実地研修で基礎知識は得たが、まだまだ経験が足りない。そこで、農地探しと並行して、研修先の農家も探した。その頃からすでに環境制御システムによる農業を目指していたため、県の就農相談センターに「環境制御技術を導入して農業をしている農家はいないか」と尋ねたところ、松村務さんが経営していた「浅小井農園」を紹介された。
「作物に特にこだわりありませんでした。とにかく、環境制御下での農業をやりたいという思いが強くて。当時から浅小井農園ではミディトマトを栽培していて、自分自身トマトは好きでしたし、ぜひ研修をさせてほしいとお願いしました」
浅小井農園に導入されていた環境制御システムは、最先端のものだった。「新しいもの好き」という松井さんは、地方公務員を早期退職し、農業に参入。県内最大規模のハウスでJGAP認証(食の安全や労働安全、環境保全に取り組む農場に与えられる認証)を取得し、SDGsの取り組みも積極的に行っていた。
望んでいた環境での研修が決まり、ここで約2年、関澤さんは松井さんから農業の実務を学んだ。その中で知ったのが、浅小井農園には後継者がいないことだった。「こんなに立派な設備があるのにもったいない」。関澤さんは松井さんに、自身が農園を引き継ぎたいと「第三者承継」を提案した。既に研修生として実績があり、意思疎通や信頼関係が十分だったこともあり、「ぜひ!」と話はスムーズに進んだという。そして、資金や従業員の待遇などの話し合いを経て、いよいよ2020年10月、事業承継が実現した。
環境制御による栽培と増員で売上高アップも、
世界情勢の影響で販路の見直しを迫られる
事業承継後さっそく、関澤さんは生産体制のテコ入れを行った。これまでは、収穫時に人手が足りなくなり、その間、苗の管理がおろそかになっていた。収穫が間に合わないと、せっかくのトマトが無駄になってしまう。そこで関澤さんは、おおよそ倍の人員を生産現場に投入することを決意。常時ハウスにいる人員を、4~5人から、9人ほどに増やした。このテコ入れにより、事業承継後の売り上げは1年目からぐっと伸びた。
「先代のときには年間の売上高が6,000万円くらいでしたが、1年目で7,200万円、去年は半期で8,800万円ほどになっています。まだまだ伸びしろがありますよ」
現在では、ベトナム人の技能実習生を含めた4人の正社員とパート5人のほか、繁忙期には海外インターン生3人にも手伝ってもらっている。売上高は順調に伸びているが、ウクライナ侵攻やコロナ禍など世界的な情勢のために、重油や資材費なども高騰。収益率アップのために、現在は急ピッチで販路の見直しを図っているという。
これまでの卸先は、直売所や産直、飲食店がメイン。地元で「朝恋トマト」の知名度は抜群で売れ行きも好調だというが、パック詰めや運搬費などの出荷効率の悪さがあった。そこで業務用にトマトを出荷できないかと考えた。
「業務用の出荷では、パック詰めなどの作業が発生しないというメリットがあります。ただ1日1トンという需要規模に個人農園では応えられないこともある。直売所のように、出荷できた分だけを店頭に出すことができない点が悩ましいですが、バランスを取りながら販路を見直しています。知名度を生かし、『朝恋トマトのサラダ』など、スーパーや小売の企業とタイアップした惣菜づくりにも挑戦したいですね」
就農の選択肢として「第三者承継」という手段を知ってほしい。
リスクヘッジでジムも開設する、未来志向型農業への挑戦
関澤さんは農業に転職したことについて、「売上や生産量などに、不安や苦しさを感じるときもありますがが、自ら望んで得たポジションで奮闘している現状に、充実感があります」と話す。
「今シーズンの朝恋トマトは糖度が去年より1.5倍ほど高く、十分な収穫量も見込めています。相手は生き物、自然相手なので、扱いを少し間違うとダメになってしまうなど難しい部分はありますが、おいしいものを作れたときの達成感は格別ですね。銀行員時代にディールが成立したときより、人間としての喜びを感じています」
さらに、事業承継に難しさを感じなかったかという問いには、「良いことばかりでしたよ」と快答。ただし、「私のケースは、承継前にしっかり先代とコミュニケーションが取れていたからこそではありますが」と続けた。
「事業承継による就農は、農地や設備、栽培方法をはじめ、仕入れや販路先、人員など基盤が既に整えられています。そのプラットフォームをすべて活用できるのは新規就農者にとって非常に大きなメリットです。ただし、経営権や財産・相続などセンシティブな問題もはらむため、先代との強固な信頼関係の構築が必須でしょう。それができれば、事業継承は両者にとってとてもいい選択だと私は実感しています」
関澤さんは、少し前から浅小井農園とは別の場所でも土地を借り、そこで大玉トマトの栽培を行っている。さらに、自身の経験を活かして第三者承継の普及・推進活動にも乗り出し、自治体のセミナーや専門学校などで講師としても活躍。県が実施する派遣型アドバイザー制度にも登録し、今後、承継にまつわる支援などの要請に応えていくつもりだ。
「農業には後継者不足という課題があります。一方で、新規就農者は土地が見つからなくて困っている。そこで起こっているのは、『経験がない人に、大事な農地を貸すことができない』という農家と、『農地がないから経験が積めない』という新規就農希望者のジレンマです。これを解決できるのが、第三者承継だと私は考えています。先ほども言ったように、第三者承継はゼロからのスタートよりも、圧倒的にスムーズに就農し、安定した経営を実現することが可能になります。つまり、若者がもっと積極的に就農を決断できるはずなんです」
関澤さんはそんな思いを持って、今後、新規就農希望者と後継者のいない農家をマッチングさせるプラットフォームづくりなどを手掛けていければ、と語った。
また、こうした活動の一方で、関澤さんはリスクヘッジとして今秋、コロナ補助金を活用し女性専用ジムも開設している。
「専業農家を目指していましたが、今回、コロナ禍や原油や資材の高騰などを経験し、事業リスクの分散が必要不可欠だと実感したんです。リスクの所在を分け、『農家×何か』を実践していこうと考え、たどり着いたのがジムの経営。トマト生産とジムは、“健康”というワードでつながっています。今後は、トマト栽培を軸に、講師活動やジムを並行して続け、どんな社会情勢になっても、持続可能な事業経営をできる体制を整えておくことが、今の私の目標です」
その経営視点は実に元銀行員らしい、何十年も先の未来を見据えたものだった。
就農を考えている方へメッセージ
元銀行員の私から見て、事業承継は本当におすすめです。就農基盤が整っているという点で、リスクを大幅に抑えられる方法なので、ぜひ多くの方に就農の1つの選択肢として考えてほしいと思います。新規で農地を探す場合には、新規就農者を歓迎している自治体を探すことも有効です。あまりエリアを絞りすぎず、思い切ってそのような地域に飛び込んでみるのも良いと思います。