2023.03.10

会社員から気負わず移住就農
U・I ターン仲間たちと
地域の産地化を目指す

中野良介さん/中野あおぞら農園
農園所在地:島根県飯南町
就農年数:10年目 2014年就農
生産:パプリカ、トウモロコシ

30代で脱サラして移住を決意。リースハウスで農業をスタート

兵庫県神戸市で生まれ育った中野良介さんが、就農を目的に島根県飯南町へ移住したのは2012年のこと。30代後半に差し掛かり、会社の都合に縛られる都会でのサラリーマン生活を続けることに疑問を感じ始めていた頃、以前から「いつかは田舎で自給自足の生活をしたい」と言っていた妻・晴美さんの言葉を次第に現実味を帯びて感じられるようになってきたという。

とはいえ、その時点では特別な思い入れのある移住候補地があったわけでもなかった中野さん。まずはインターネットでしらみつぶしに移住先候補となりそうな地域を探す中で、目に留まったのが島根県飯南町だった。空き家を活用した定住促進賃貸住宅が整備され、農林業に就いて定住を目指す人への研修・支援なども手厚かった。それまで縁もゆかりもなかった飯南町だが、何度か現地に足を運ぶうちに、田舎らしい環境に心癒され、役場や地域の人々の「この町に住んでほしい、この町で農業をやってほしい」という熱い思いを感じ、中野さん夫妻はIターン就農を決めた。

町が斡旋してくれた空き家を改修した住宅で、中野家の飯南町暮らしはスタート。移住して最初の2年は就農給付金で生活を支えながら、夫婦それぞれ地元の農家で研修期間を過ごした。その後、4棟のビニールハウスでパプリカ栽培を主力とする農家として独立開業。この新規開業の支援も、飯南町は充実していた。

「リースハウスと言って、町が建てたビニールハウスを借り受けて農業をスタートできるんです。農機具なども新品を買わなくても、中古のものも地域の中にたくさんありますし、近所の農家が貸してくれたりもしますから、開業のハードルは低いと言えます。それもありがたかったですね」

着々と増えた圃場、6次産業化も実現

積雪の多い飯南町でのパプリカの農作業は3月から始まる。雪解けを待って、冬の間は外していたビニールをハウスの骨組みに張り、4月からは土に堆肥を入れて苗を植える。夏場はハウス内の灌漑設備を使って毎日水やりをする。成長したパプリカを収穫するのは7月〜11月の半ば頃まで。品種の違う苗を植えることで赤、黄、オレンジなどさまざまな色のパプリカが実り、収穫したパプリカはきれいに拭いて色や大きさごとに仕分けして出荷する。

就農後、マイペースながらもこうした作業を日々コツコツと積み重ねた中野さんは着実に成果を上げている。当初、晴美さんと2人で始めた4棟のビニールハウスは3年後の2017年には10棟になり、出荷量は年間8トン近くまで増えた。現在ハウスは12棟になり、法人化はしていないものの、「中野あおぞら農園」の屋号の下、晴美さんの他、地元の林業大学の学生アルバイト4名と研修生2名と力を合わせて切り盛りしている。JA一辺倒だった出荷先も、地域の直売所や、声を掛けてくれた知り合いの卸業者と契約して県内外のスーパーにも出荷するようになった。ゆくゆくは直販の売り上げを3割程度まで高めたいと考えている。

「JA出荷は農業初心者にとっては確かに楽です。大量に採れても全部買い取ってくれて、代金が自動的に口座に振り込まれますから。ただ、販売価格を自分で設定できないというのが難点。ですから、安定収入という意味でもJA以外の販売先も持っておきたい」

また、2017年頃からは、生産したパプリカの一部を使って加工品の開発・販売も始めた。パプリカは実がなってから色づいて収穫できるまでに2〜3週間ほどかかるため、その間に虫に食われてしまうことがある。また、出荷の規格にはまらない大きさや形のパプリカも一定量はどうしても発生してしまう。こうしたパプリカを有効活用するために晴美さんが考案したのが、カラフルなパプリカの魅力を生かした「パプリカ・ドレッシング」だ。周囲の人々に配ったり、道の駅でも試食してもらったりしながら意見を聞いて試行錯誤を重ねたドレッシングは、採れたてのパプリカの色鮮やかさをそのまま瓶に閉じ込めたように美しく仕上がっている。パプリカ独特の旨みや香りに、レモン果汁やオリーブオイル、ハーブソルトが加わったほのかな酸味のあるイタリアン調の味わいは、いつものサラダやサンドイッチ、ピザなどを一段と引き立ててくれると好評だ。リピーターやプレゼント用に購入するお客様も増え、自身のインターネットショップや、道の駅、地域のスーパーなどの他、県外の小売店でも販売するようになった。

晴美さんはこのパプリカ・ドレッシングの取り組みに「イロンデル工房」という屋号を付け、個人事業として運営を行っている。製造所は町が管理している加工施設を無料で借りることができる。つまり、夫の良介さんが農園を、妻の晴美さんが加工品を、それぞれ個人事業として責任を持って分担しているという体制だ。

こうした一連の道筋は、就農当初からあらかじめ中野さんの中で思い描いていたことなのだろうか?

「そんなことはないです。移住する前の段階では町のことも農業のこともほとんど分かっていないですし、綿密に計画していたわけではありません。こちらに来て農業を実際にやっていく中で、地域の人や仲間と知り合ったり、知恵を出し合ったりして、良い意味で、なりゆきで進んで行っています。それに、ドレッシングは妻が独自に研究して開発したものなので、僕に聞かれても正直細かいことまで答えられないんですよ。だったら妻が責任を持って事業としてやった方が、お客さんにも自分たちにも良いので」

夫婦であってもお互いに自立的に考え行動し、責任を持って無理なく役割分担するというのも家族経営の新しいやり方かもしれない。中野さんの「なりゆき」という言葉の背後には、前向きに進むということを前提にした臨機応変さ、しなやかな適応力がある。だから強いし、続いていく。

仲間と共に日本有数のパプリカ産地を目指して

中野さんに、農業を実際に行う前と後で変化したこと、そして農業の面白みについて伺ってみた。

「飯南町に来る前からうすうすイメージはしていましたが、農業で食っていくのは楽じゃない。やってみて、それが確信に変わったと思います(笑)。でも、同時に農業のやり方も分かってくるし、生き抜いていくためのアイデアも出てくる。やりがいは確かにあるし、農業は捨てたもんじゃない、やり方一つでどうにかなると思っています。

自分でゼロからものを作って、それを売ったらお金に変わる。それだけでなくお客さんに喜んでもらえる。やはりそれが農業や一次産業ならではの妙味だと思います。会社勤めだと自分の頑張りがダイレクトに給料に反映されるのは難しい部分もあるけれど、農業ならそれができる」

そんな中野さんの目標は、飯南町を日本有数のパプリカ産地にすることだ。

「農業で飯を食って行こうと思ったら、一つのやり方としては、やはり何かの野菜のブランド化、つまり産地になることが重要だと思います。日本でパプリカの名産地と言えば飯南町、飯南町のパプリカといえば『中野あおぞら農園』というふうになるといい。国産パプリカは、まだ産地らしい産地が確立していないのでチャンスがあると思っています。僕が就農したときはパプリカを本格的にやっている農家も町内にほとんどなく、誰もパプリカで食っていけるなんて思っていなかった。でも今年の春から、島根県も飯南町も、JAと三位一体でパプリカを特産品にしようと本腰を入れ始めるんですよ」

一方で、中野さんは自分と同じように飯南町へU・Iターンして就農した同世代の仲間たち約10組と共に、年に数回、各自が作った野菜を持ち寄って産直マルシェを開催するなど、飯南町野菜を県内外のもっと多くの人に知ってもらう活動にも取り組んでいる。このように、町が移住と就農促進の施策に熱意を持って取り組み、町民がそれを寛容に迎え入れ、移住就農者が次第に増えて集団になっていくことで、さらなる発展が起こりそうだ。あまり気負わずに、でも「自分たちらしく生きたい」という思いをごまかすことなく新天地に飛び込み、用意された環境を素直に目一杯活用しながら取り組み続けた中野さん夫妻の着実な足跡は、この先、より大きな予想以上の明るい未来へ続いていくのかもしれない。

就農を考えている人へのメッセージ

「農業にもいろいろなスタイルや想いがあると思いますが、もし、『農業はやりたいけれど生活に困りたくない』という気持ちがあるなら、どの地域に就農するかの選択が大事だと思います。分かりやすく言うと、その野菜を作って飯が食って行けるのか。自治体をはじめいろんな情報があるけれど、その野菜を実際に作っている農家にズバッと聞いてみた方がいい。農業というわりと不安定な世界で、ある程度安定した収入を望むなら、何かの産地に就農するのは一つの方法だと思います」