2023.03.15
農業と里山保全活動で
地域の美しい風景を守り育て、
次世代につなぐ
水口淳さん・良子さん/みなくちファーム農園
所在地:滋賀県高島市マキノ町
就農年数:9年目 2014年就農
生産:無農薬の大根、かぶら、マクワウリ、とうもろこし、お米、大豆、麦など約100種、ハーブ約50種、原木椎茸
琵琶湖の水源の町で無農薬農業と里山保全、馬とのふれあい事業も展開
水口淳さん・良子さん夫妻は2014年、淳さんの生まれ故郷である滋賀県高島市のマキノ町で、独力で農業を始めた。びわ湖の北西部に位置するマキノ町は、びわ湖に注ぐ一級河川・知内川の源流の町でもあり、美しい水と里山が織りなす日本の原風景と呼ぶにふさわしい景観が広がる。マキノ町が属する高島市は琵琶湖の3分の1以上の水を生み出しており、生物多様性を守る取り組みにも力を入れている。
そんなマキノ町で、水口夫妻は無農薬の野菜やハーブ、里山の間伐材を利用した原木椎茸の栽培を行っている。近年は里山の保全活動や里山体験にも力を注ぎ、2022年からは新たに、馬とのふれあいを創出する事業「NOHVA」も立ち上げた。多岐に渡る事業展開の根底にある原動力は何だろうか?
アパレル会社経営から転身。水口夫妻が農業を始めたきっかけ
農業を始める前の2004年〜2013年、水口夫妻は海外から輸入した洋服をインターネットで販売するアパレル会社を経営していた。事業は順調に成長していたが、2008年のリーマンショックを境に売り上げが低迷。2011年の東日本大震災で物流がストップしてからは目に見えて商品が売れなくなっていったという。
「もう違うビジネスを考えなければ」。模索し始めた淳さんの目に留まったのが、地域の農家が野菜を出している直売所だった。モノが売れない時代だと言われるが、直売所はいつも賑わっている。アパレルや外食産業は景気に左右されるかもしれないが、食料品はどんな時でも売れると気が付いた。リーマンショック後に押し寄せたファストファッションの潮流で巨大企業には太刀打ちできないと思い知らされ、「自分がメーカー=モノを作る立場にならなきゃダメだ」と思うに至った経験もあった。
「いろいろな商材がある中で、農業だったら田舎で土地もあるので元手も少なく済み、かつチャンスもあると思い、参入を決めました。農業の技術は一切無かったのですが、この町で育つ中で春夏秋冬、季節ごとにどんな野菜があるのか、いつ頃その種を蒔くのかは何となく知っていました。分からないところはインターネットで調べてやってみようと。それまでも自営業でしたから、アパレルをやめた途端に収入がゼロになってしまうので、研修など勉強に行っている時間がもったいなくて(笑)」
親には「そんなに甘くないぞ」と大反対されたが、妻の良子さんは農業に取り組むことに賛同してくれた。こうしてまずは農地を探すところから水口夫妻の農業への挑戦が始まった。
耕作放棄地を足で探して持ち主に交渉。無農薬栽培で付加価値をつける
水口夫妻の農地探しはシンプルで地道だった。車で農地のある一帯を回り、雑草が生い茂る荒地、いわゆる耕作放棄地を見つけると持ち主を調べ、貸してほしいと交渉する。独力で農業を始めたため、農業関係の団体や行政など相談する窓口も分からなかった。やがて耕作放棄地を貸してくれる人が見つかり、まずは25アールの土地を手に入れることができた。雑草を刈り終えてみると、現れたのは石だらけの圃場。水口夫妻は約半年間、石を拾い続けた。石の除去が終わると、近隣の集落からトラクターをレンタルし圃場を耕した。
ようやく準備が整った農地に水口夫妻が最初に植えたのはレタスだ。そこにはこんな理由がある。
「野菜は主婦の方が何十円単位で価格や大きさ、色艶の良さなどを吟味して買うもの。そういうものを最初から上手に作れるかどうか分からないので、何か付加価値をつける必要があると思ったんです。そこで無農薬栽培しかないと思いました。無農薬で野菜を作る時にハードルが低いのがレタスじゃないかと。レタスは虫が食べないというイメージがあったので」
水口夫妻は1年目、赤と緑のリーフレタスを無農薬で栽培してみた。すると予想以上に順調に実り、道の駅に大量に出荷することができた。その実績や、耕作放棄地で石拾いをしている姿を見てくれていた周りの農家が「うちの畑も使っていいよ」と農地を提供してくれ、2年目は一気に1.5ヘクタールまで面積が広がった。
その畑に、レタスに加え、ブロッコリーやトウモロコシ、サツマイモのシルクスイート、地元の特産品でもあるマクワウリ、その他多種類の野菜を植え、同じく特産品である原木椎茸の栽培も開始した。この品揃えにも、アパレル会社経営で培った淳さんの経験が生きている。
「いろいろな野菜を作った方が、売り場(直売所)に並んだ時に多くの人の目に触れるチャンスが増えます。まずは僕たちの知名度を上げる必要があるので」
毎日出荷できるオーソドックスな野菜を作りながら、一方で知名度の上がるような特徴のある作物も作っていく。具体的にはとトウモロコシやシルクスイート、マクワウリなど糖度が高くて味に特徴が出しやすく、消費者に「あの農園の○○がいちばん甘い」と言ってもらえるような作物だ。
そして多品種栽培の背景にはもう一つ別の理由もあった。
「発端が“農業大好き!”から始めていないので、自分たちが飽きてしまうのが怖かったというのもあります。1年目は勢いで乗り切れても、決して楽な仕事ではないので、2年目以降も続けられる方法を考えないと。今では農業は大好きですが、それは楽しく農業ができるように工夫しているから。やはりお客様に直接『おいしい』と言ってもらえない状況で、作りたくもないものを育てていくのではしんどくなる。儲けのために作った野菜は、儲からなければやめてしまうでしょう。自分がやりたくて、かつ食べた人に喜んでもらえる特徴のある野菜と、毎日少しずつでも売り上げが立つオーソドックスな野菜があれば、続けていけますよね」
若い世代に教わった、地域資源を循環させる大切さ
農業を始めて6年目、みなくちファームに初めての正社員が入社した。30代だったその若い女性社員はハーブが大好きで知識も豊富。ハーブを栽培したいというその思いを形にしたのが、現在のみなくちファームのハーブ園だ。
「僕がマクワウリを作りたかったみたいに、この子はハーブをやりたいんだなって。上手に作るんですよ。やはり思いのある人が触るのがいちばん」
収穫したハーブは直売所の他、卸業者を通じて東京の飲食店などにも販売している。現在、その女性社員は農場の責任者にまで成長した。
9年目には大学を卒業した新卒の女性も入社し、同時に良子さんは馬の事業「NOHVA」を立ち上げるため後ろ髪を引かれながらも大好きな農作業を離れ、みなくちファームは現在、淳さんを含む3人の正社員と、30代の女性・男性1名ずつのパートスタッフの合計5人で7ヘクタールの農場を切り盛りしている。若い世代と一緒に働く中で、淳さんは今までの自分には無かった新たな視点をたくさん教わっているという。
「今の若い子たちは環境のことや農業のこと、地域のことを大学でしっかり勉強しています。このままでは地球がどんどん破壊され、飢餓や食糧危機の問題が起きる、じゃあ何ができるかと考えた末に農業の世界に入ってくるんです」
3年ほど前から里山に木を植えるという活動も始めた。淳さんが小さい頃からの遊び場だった里山の風景を守りたいという気持ちがあるのはもちろんだが、若いスタッフもそれぞれ自分の思いを持ち、里山の活動にも一緒に取り組んでいる。
「もともとは里山に地域の人々の暮らしがあり、その延長線上に畑や稲作、林業がありました。耕作放棄地も里山も然りで、どこかが荒れると全部が連鎖して荒廃していき、自然が荒廃していくと人もいなくなっていきます。田舎暮らしに憧れている人がイメージする美しい景色は、そこで暮らす人々が多大な努力をして手入れをし、維持している景色です。僕らもその中でこの先も暮らしたいと思うから、里山の手入れをして木を植えているんです」
馬とのふれあいを提供する事業を始めたのも、この美しい農村の景色をもっと魅力的にして人々の記憶に留めたいという思いがあるからだ。淳さんの生まれた棚田のある村に、かつては当たり前に見られた農耕馬のいる風景。それはとても「かっこよくて素敵なこと」だと淳さんは言う。
2022年1月に水口夫妻は北海道から3頭の馬を迎えた。馬に乗って散歩をする体験などを行っているが、お客の反応は非常に良いという。今後は厩舎の見える農家レストランや農家民宿も計画している。
「アパレルをやっていた時とどちらが幸せかと聞かれたら、今の方が幸せ。自分と同じ価値観の人に囲まれて、自分の好きな生まれ故郷で好きな仕事ができて、好きな生き物とも一緒にいられて、どこにも遊びに出かけなくても飽きることがない。スタッフに給料を支払えれば、後のお金は農業の充実や地域を循環させることに使っていきたいですね。農業を始めた動機はビジネスだったけれど、耕作放棄地がどんどん僕の所に集まってきて、地域の人にありがとうと言ってもらえるようになってから、僕の役割はこれだなと」
水口夫妻の原動力は大切な農村の風景と、それを形づくっている自然と人との共生や地域の循環を守り、持続させていきたいという思いだ。自分自身の幸せのためにも。今後は高島市に伝わる発酵の食文化継承にも力を注ぎたいという。3年前からすでに取り組んでいる味噌作りに加え、年々醤油蔵が消えつつあることを問題視して、醤油作りにもチャレンジしたいと意欲を語った。
みなくちファームを核に、琵琶湖の源流の農村風景が遠い未来まで続くことを願わずにはいられない。農業には景色さえも左右する大きな力と可能性があるのだ。
就農を考えている人へのメッセージ
「農業の良い所のひとつは何歳になってもできることだと思います。体力が落ちたとしても知恵を使ってできる農業もあるし、自分に合った、自分の好きな農業をすればいい。ただし、どういう農業をしたいのか、誰に届けたいかを定めることが大事です。大規模にやりたい人にはそういうお客さんが付いてくるし、小さくても無農薬でやりたい人にはそれを支持するお客さんが付いてくる。ただ漠然と農業をするというよりも、人に共感してもらえる理由や情熱が定まっていた方が楽しく続けられると思います」
2022年5月27日(金)、「After 5 オンライン就農セミナー」にて、水口さんご夫妻をゲストに就農までの経緯やご自身の体験談を語っていただきました。
その様子を下記の動画よりご視聴ください!