2023.03.28
介護から農業の道へ。
地域の高齢者と共に
ふるさとの農業を未来へつなぐ
吉野大さん/勝浦野菜工房株式会社
農園所在地:千葉県勝浦市
就農年数:3年目 2022年就農
生産:サツマイモ、里芋、カボチャ、トウモロコシ
農福連携で地域の耕作放棄地を生かす
沖を流れる黒潮の影響で、一年を通じて温暖な気候に恵まれる千葉県の房総半島。その南東部に位置する勝浦市で、吉野大さんは2021年に株式会社を立ち上げ、事業として農業を開始した。当初60アールから始めた吉野さんの圃場は、すでに約3.5ヘクタールまで拡大し、サツマイモや里芋、カボチャなどを中心に生産を行っている。一緒に汗を流してくれるのは、父親の運営する営農組合に所属している地元の高齢者たちだ。
「年を取ると、鍬や鋤で畑を耕したり、シャベルで掘ったりすることは重労働すぎてできませんから、そういうことは私ともう一人の社員が機械を使って行います。高齢者の皆さんには草取りや収穫した作物の選別など、人の手が必要になる部分をお手伝いしていただいています。基本的には一線を引退した方々ですので、月に4〜5回の営農組合の活動時間の範囲内でできることをしていただきます。作る作物も、その労働力の中で無理なく回せるものを考えて作付しています」
作業を手伝った高齢者には、営農組合から賃金が支払われる。吉野さんの会社の社員ではないが、連携して互いに作業を補完し合いながら同じ畑で農業を営む地域の大切な仲間だ。
「高齢になっても安易に介護施設に入らないで、できるだけ自分の力でお金を稼いで、デイサービスに行ったり、ほしいものを買ったり、お孫さんにお小遣いをあげたりできたらいいですよね。認知症の予防やリハビリにもなります。高齢者が胸を張って生きていけることが大事ではないでしょうか」
そう語る吉野さんは、就農前は17年間、兄が経営する千葉県内の介護施設で管理者として働いていた。団塊世代が高齢化していく流れを見越し、大学からいち早く介護の分野へ進むことを選択した吉野さん。施設では多くの高齢者に慕われ、スタッフや若手のマネジメントを行い活躍していたが、コロナ禍の影響で施設の経営を他の企業に委譲することになり、転機が訪れた。
「そのタイミングで地元に帰り、小さい頃からお世話になってきた地域のじいちゃん、ばあちゃんたちに恩返ししたいなと思いました。私の地元でも国が圃場整備事業を行いましたが、結局、継ぎ手がいないと耕作放棄地になってしまう。だったら自分が何かできるかもしれないと」
吉野さんは介護施設で働いていた17年間、利用者の方々と一緒に敷地内で田んぼや菜園を営んできた。利用者の多くが農業経験者であり、若いスタッフと一緒に農業のやり方や知恵を教わりながら、約60品目もの作物を育ててきた実績があるため、吉野さんにとって農業は身近だった。
「高齢化している地元の農業に、若い人の力を入れることによって回していけると良いですよね。高齢者と共存することで補い合って運営できれば、地元の農地もきれいになりますし、農福連携、つまり高齢者福祉の一環にもなります。そんな事業を行うためにこの会社を立ち上げました。勝浦は中山間地域のため、まとまった広い農地ではなく、2〜3ヘクタールほどの農地が飛地状に点在しており、農業の大手企業が入って来にくいんです。ですから、私たちのような小回りの利く会社が役に立てると思いました」
高齢者と信頼関係を築く、毎日の声がけやいたわり
吉野さんたちは1年目、圃場に生えている木を伐採したり、使われていない小屋を撤去したりといった耕作放棄地の整備から着手。この地域特有の粘土質の土壌でも育てやすいサツマイモや里芋をはじめ、高齢者の負担も考慮してカボチャ、ネギ、トウモロコシなど、出荷作業の手間が少ない野菜を植えた。農薬の使用量も基準より大幅に抑え、安心して食べられる野菜作りを行っている。道の駅や知り合いの飲食店、県内の企業など、安定して良い値段で買ってもらえる販路も開拓中だ。
吉野さんの会社の耕作面積は、1年でスタート時の何倍にも増えた。後継者のいない地域の高齢者から、「吉野さんになら自分の農地を任せたい、好きなように使ってくれていい」と次々に農地を託されたのだ。その理由は、吉野さんが常日頃から地域の高齢者に敬意と思いやりを示し、信頼を育むことを大事にしているからに他ならない。
「介護の現場で学んだことは、常に私たちが教わる側であるということです。当たり前のことかもしれませんが、相手が返してくれなくても毎日挨拶をしたり、耳が遠い人には聞こえやすい低い声で話しかけたり、例えば片足を引いているのに気づいたら『足痛いの?』と聞いてあげたり。そういうことを積み重ねるうちに、やがて挨拶を返してくれたり、言えなかったことを言ってくれるようになったりします」
いずれは高齢で運転できなくなった方のために、作った野菜を地域で販売し、宅配便の集荷や買いたい物の代行発注などもできるようにしたいと話す吉野さん。
「以前はトラックで食材や日用品を売りに来てくれるサービスがあったのですが、撤退されたのか今は来なくなってしまいました。いつまでも家で暮らしたいという方々が、営農組合で働いたお金で地域の中で買い物ができ、いろんな人たちで見守ることができると安心して暮らせますよね」
農業を通じて命への敬意を育む
介護施設での菜園の運営から、農業の会社を経営する立場へと変化した吉野さんに、今までとの違いや苦労を伺ってみた。
「始める時には家族の大反対に遭いました。農業はそんなに甘くない、食っていけないと。でも、私は17年間施設で農業をしてきましたから、妙な自信がありました。ところが、スタートして間もなくニンジンの栽培で大失敗。前の会社の勤めと並行してやっていたので適期に種を蒔けなかったし、世話も適切にできなかったのが原因です。種代や肥料代が無駄になってしまいました。しかし、2回目のチャレンジでは畝ごとにビニールをかけて土の温度を高めるなどの工夫をし、良質なニンジンが育って販売まで漕ぎ着け、お金に換えることができました。種代や燃料費などもペイでき、1回目の損失も取り返しました。やはりこれまでの家庭菜園と大きく違うのは、事業なので売ってお金にする所までしないといけない点です。今までは雇われていた身ですが、自分が経営するとなると、私が事業や働いている方を守らなければなりません」
そんな使命感の強い吉野さんが感じている農業の喜びは、極めてシンプルだ。
「種を蒔いて、芽が出たこと。芽が出ないと絶対その後にはつながりませんから、子どものように可愛いですよ。それから、施設で野菜を作っていた時、できた野菜を利用者の方が『おいしいね』と言って食べてくれたこと。時々『これはイマイチだった』なんてことも言われましたが、本音を言っていただける関係がうれしかった。一緒に働いていたケアマネージャーの方がお子さんを連れて畑に遊びに来てくれて、子どもたちが一生懸命に芋を掘っている笑顔もすごく良かったです。こういう農業の喜びを、地元の保育園や小学校の子どもたち、いろんな人に体験してほしくて、いずれは観光農園や農業体験もやっていきたいと思っています。自分で土を耕し育てて食べる大変さや喜びを体験することで、野菜や農業を見る目が変わると思う。農業の役割は食料を生産するだけではなく、地域貢献や人々の健康にもつながっていくと思います」
吉野さんは近い将来、害獣対策も兼ねて猪や鹿などを捕獲し、ジビエとして活用するため狩猟免許も取得済みだ。後継者がいないのは山も同じ。今後入社する社員にも免許取得を促すつもりだと言う。獣を捌く体験も提供し、農業も含めて「命への敬意」を学ぶ機会を作りたいと考えている。
「今年はとにかくいろいろな野菜を作りながら、今の仕組みの中で効率よく安定して生産していくためのエビデンスを取っていきたい。そうすれば次の世代により成功確率の高い情報を渡してあげられる。先代たちの経験や知恵を大事にしながらも、新しい世代が使いやすい新しいデータや技術が必要だと思っています」
介護の視点を持つ吉野さんだからこそ描ける地域社会のビジョンがある。農業を真ん中に、次世代も高齢者も地域全体がつながり合い、どんな人でも胸を張って生きていける思いやりのある地域社会。そして農業を通じ、人の命の尊厳や、生き物を含めたすべての命への慈しみを育む場を地域の中に作ること。ふるさとを未来へつなぐ農福連携への吉野さんの挑戦は、始まったばかりだ。
就農を考えている人へのメッセージ
「家庭菜園と違い、農業を事業として行うには、最もシビアに見た売上を基準にリスクを把握しながら運営していく必要があります。正しい情報をしっかりと得ることが重要です。
そして最も大切なのは、自分が農業を行う地域の人たちとどれだけ仲良くなれるか、信頼関係を築けるかという点です。日本人の美点は、困った人がいれば必ず助けてくれる所。自分がしてもらったことは、必ずお返しする心があります。一見、事業とは関係がないように見えることでも、地域の活動など、周りの人に自分ができる限りのことをしてあげることが、新規就農を成功させるいちばんの近道ではないでしょうか」