2023.03.30

東日本大震災をきっかけに、
山形県の中山間地域で新規就農。
子どもの時に食べたお米の味を求めて

丸山祐輝さん/農ノ丸
農園所在地:山形県朝日町
就農年数:9年目 2015年就農
生産:リンゴ、米

仙台で経験した東日本大震災が人生の転機に

山形県の中央部に位置する朝日町。朝日連峰をはじめとする山々に囲まれ、ブナ原生林の豊かな自然が広がる。その中山間地域の圃場で、リンゴとお米を生産している丸山祐輝さん36歳。出身は宮城県仙台市。前職ではIT企業で4年間働いていた。丸山さんが就農したきっかけは何だったのだろうか?

「会社員時代にいろいろな商品やサービスを販売していましたが、それらは自分で作ったものではなかったので、長くやりがいをもって続けられる仕事なのか、疑問を感じていたんです。もやもやした思いを抱えながら過ごしていた2011年に東日本大震災が発生。当時は仙台市に住んでいて、震災が人生を見つめ直す大きな転機になりました。そんな折、被災者を支援する農家の姿を目の当たりにして感銘を受けました。農業に興味を持つようになったのはこの時からです」

震災の翌年に退職届を提出し、就農に向けて動き出した丸山さんが新天地に選んだのは山形県。山形県の母親の実家が稲作農家で、幼い頃に食べたお米の味が原体験として鮮明に残っていたからだ。就農の情報収集は、やまがた農業支援センターに相談に行ったり、「新・農業人フェア」に参加したりして先輩農家からいろいろな話を聞いた。自治体の担当者からは山形県でのお米作りは難しいと言われたが、県内の1軒の農家が研修を受け入れてくれることになり、それから2年半の間に3軒の農家で米作りを中心に学んだ。

丸山さんは農薬と肥料を使用せずにお米作りを行っているが、その栽培方法は初めから意図していたわけではなかった。

「研修中に食べて特に感動したお米がありました。それは無農薬・無肥料で栽培されたササニシキ。いろいろなお米を食べ比べた中でも味が良く、といだときに懐かしい香りがしたんです。これこそ自分が目指すものだと思いました。いまでは生産が少なくなった品種ですが、母の実家で作っていたのもササニシキでした」

就農当時は、どこももっぱら慣行栽培で、農薬や肥料を使わずに稲作を行う農家はまれだった。いま以上にこうしたお米の栽培方法の認知度は低く、周囲の農家の理解を得にくい状況だったという。また、丸山さんは当初から大型の農業機械を使わない小規模の農業を志向していた。これらの理由から、必然的に他の農家の圃場に隣接していない面積の小さい中山間地域の田んぼを選んだ。

身の丈に合ったローリスクの農業を志向

 2015年から研修中に知り合った仲間と共同でお米作りを始めた丸山さん。ところが、就農してすぐに予期しないことが起きた。仲間が作業中に農機具で重傷を負い、ヘリコプターで病院に搬送されたのだ。そのまま復帰のめどが立たず、丸山さんは一人での農業を余儀なくされた。気持ちを切り替え、次の5つの目標を設定した。

1.借金をしない経営
2.大規模農家を目指さない
3.手取りで年間300万円の収入を得る
4.従業員を雇わずに作業
5.5年後には農業以外のことをする時間をつくる。

丸山さんが志向したのは、生活に足る分の収入を得るためのローリスクの農業だ。家族を持ったいまでもこのスタンスは変わっていない。就農時の自己資金は100万円で、農業次世代人材投資資金(旧・青年就農給付金)を活用し、農機具、軽トラック、育苗ハウスを購入、残りは当面の生活費に充てた。

いざ就農してみると予想外のことも多かったという。中山間地域ゆえの獣害、大雨による土砂災害、読めない天候。苦労は絶えないが、自分が作るお米を待ってくれている人がいるから、投げ出すわけにはいかない。やるしかないと踏ん張りながら、農作業に汗を流した。

当初はお米作り一本で考えていたが、経営を安定させるため、就農3年目にリンゴの栽培を始めることに。リンゴは朝日町の特産品で、お米と比べてイノシシの被害を受けにくい。栽培経験はないが、同じ地区の先輩農家から何度も教わりながら実践した。現在は1ヘクタールの畑を借りてリンゴを栽培している。

雪国ならではの苦労もある。朝日町は山形市内に比べても雪が多い地域で1〜2メートル積もる。移住した当初は、これほど積雪が多い地域だとは考えていなかったという。積雪が多いときは、かんじきを履いて枝に積もった雪を落としに行く。実践の中で失敗と改善を繰り返しながら栽培技術を磨いていった。

さまざまな苦労がある一方で、丸山さんが感じる農業の面白さとは何だろうか?

「自分が作ったものを直接人に売る喜びがあります。そして農作業も経営も全て自分の裁量でできる自由さがある。栽培方法や売り方など、自分の工夫しだいで収量や売上につながるので、常に考えながら改善を重ねています。農家の高齢化や担い手不足などの課題はありますが、一方で、新しい取り組みをしている人が増えています。全国の農家と話をすると、栽培や販売を工夫したり、観光や福祉など他の分野と組み合わせたりしていて、刺激を受けます」

マルシェに出店して販売先を開拓。スーパーとの差別化

販路は就農当初から卸し販売は行わずに直売のみ。就農して間もない頃に、東京や仙台でのマルシェなどに出店し、そこで出会った人とのつながりや紹介から販売先を広げていった。お米は主に関東圏の個人宅に定期発送している。リンゴは売上の半分は道の駅などでの産直販売。残りの半分は仙台市内で毎月開かれるマルシェやネットでの個人販売だ。スーパーマーケットとの差別化を図るため、鮮度の良さや季節で変わる品種の味を楽しめることなど、農家から直接買うメリットを訴求している。

丸山さんは農業次世代人材投資資金を5年間利用し、当初立てた目標通りに現在は農業収入だけで生活が成り立っているという。農業経営が軌道に乗ったいまでも安定した収量と味を確保するための研さんを怠らない。最後に、堅実な営農を実践する丸山さんにこれからの目標を尋ねた。

「農業の道に進むことができたのは、先輩農家が手を差し伸べてくれたから。こんどは自分が新規就農を考える人の手助けをしたいです。そんな思いで、非農家出身者の団体である新農業人ネットワークに参加して、イベントでの講演や就農相談などを行っています。今後もこうした活動を続けていきたいです」

農業には土地や技術、そしてある程度の資金が必要だ。それと同時に重要なのは、丸山さんのようにこの土地でやっていくんだという覚悟と明確な目標を持ち、それに伴う行動を続けていくことではないだろうか。農業は自分が努力したぶんだけの結果がちゃんとついてくる仕事だということを、何も持たず新天地で農業を始めた丸山さんが証明している。

就農を考えている人へのメッセージ

「新規就農というと敷居が高いイメージを持ちますが、想像するほど難しいものではありません。栽培技術は体系化されているので、自分で調べたり、先輩農家から教わったりしながら取り組めばやっていけます。新規就農に関する助成金も充実しているので支援も受けられます。思い立った時に、ネットで調べたり、農業イベントに参加したり、農家に話を聞きに行ったり、一つ一つ行動に移していくと道が開けてきます。気後れせずにチャレンジしてほしいです。一方で、移住を伴う就農については、別の努力が必要です。生活習慣が変わり、方言や気候、生活のアクセスなどに慣れる必要があります。家族がいればそのことも考えなければなりません。農業と生活を照らし合わせた上で、地域のことをよく調べてから移住を考えるとよいと思います」

 

2023年1月20日(金)、「After 5 オンライン就農セミナー」にて、丸山さんをゲストに就農までの経緯やご自身の体験談を語っていただきました。

その様子を下記の動画よりご視聴ください!