2024.03.04

定年がなく、需要が消えない農業で生計を立てる
移住先の高知県でキュウリを栽培

井上志穂さん
農園所在地:高知県土佐清水市
就農年数:5年目 2019年
生産:キュウリ

農業法人に就職するも、腰痛が原因で退職

千葉県から高知県土佐清水市に移住して、ビニールハウスでのキュウリ栽培に取り組む井上志穂さん。前職ではテーマパークのレストランで働いていたが、不安定な雇用条件に将来への不安を感じるようになった。農業を志したのは、定年を過ぎても働けるから。そして、食の需要はいつの時代にも消えないと考えたからだ。とはいえ農業は未経験。千葉県の就農相談窓口を訪ねたところ、「土地も品目も決まってないのなら、農業法人で働きながら考えたらどうか」と多品目を生産する会社を紹介された。

「農業法人では、種まきから収穫、出荷までをひと通り経験できて、どの作業も面白かったです。一方で、農業学校で学んだ社員と一緒に作業していていると、知識の差を痛感しました。また、収穫後の野菜を洗う水がとても冷たく、レストランの冷蔵庫作業で痛めていた腰痛が再発し、就職後3カ月で退職しました」

農業担い手育成センターで、基礎知識と実践

腰痛が原因で退職を余儀なくされた井上さんだが、就農への思いは消えなかった。農業の基礎知識を身に付けるべく、近隣の農業学校を探したが入学のタイミングが合わず。他の手段を探したところ、高知県立農業担い手育成センターが開く農業講座「こうちあぐりスクール」にたどり着いた。東京と大阪での全5回の講座で農業の基礎を手軽に学べることに魅力を感じ、いざ受講してみるとその内容の濃さに驚いた。さらに知識を身に付けようと、今度は同センターの長期での基礎研修を申し込んだ。温暖な気候の高知県は、農業を営むのに適地に思えた。センターの寮に滞在しながら毎日研修を受け、各品目の収穫や栽培管理、農業機械の動かし方や整備の方法などを学んだ。

 「研修では小さな疑問や知らない農業用語も指導員が丁寧に説明してくれます。また、公的施設なので、そのサポートも心強く感じました。農地探しや補助制度の申請などで各機関に支援をお願いしに行っても、『本当に一人でやるの?』と半信半疑で、なかなか話が進みませんでした。悩んでいた時に、センターの職員の方が『井上さんなら大丈夫です』と太鼓判を押してくれたことで、皆が納得していろいろなことがスムーズに進むようになりました。私が本気で農業に取り組む姿勢を認めてくれていたのだと思います」

ビニールハウス探しが難航 新品の見積金額は3700万円

高知県立農業担い手育成センターと農家での2年8カ月の研修を終えて、2019年に土佐清水市で就農。16アールの農地にビニールハウスを新設して、井上さんの農業がスタートした。栽培品目にキュウリを選んだのは、比較的作業がしやすいことに加えて、生育の速さに魅力を感じたからだ。就農にあたっては、最長5年間の支援が受けられる農業次世代人材投資資金を活用したほか、ビニールハウスの建設費用の半分を県と市の補助制度でまかなった。当初は費用を抑えるために中古のビニールハウスを探したが、どれも条件が合わず新設することに決めた。

 「業者が提示した鉄骨造のビニールハウスの見積金額は約3700万円。高額でとても払えないと思い、父親や農家研修でお世話になった師匠に相談しました。業者の説明では、台風被害のリスクを考えれば妥当な選択とのことでしたが、師匠が『土佐清水で吹き飛んだハウスは一軒もない。こんなん建てたら破産するで。おれんとこのハウスと同じやつにしいや』と説得してくれて、最終的には1400万円のビニールハウスを建設しました」

見積金額の半分以下とはいっても大きな投資に変わりはない。自己資金で足りない部分は、就農者向けの無利子の融資を利用した。思い切った投資だったが、それに見合ったメリットがあると井上さんは言う。例えば、寒い時期は加温機で温風をビニールハウス内に送風して一定の温度を保てる。また、密閉空間のため病害虫の被害を受けにくく、雨の跳ね返りもない。天候の影響を受けやすい露地栽培とは違い、安定した環境下で、確実に収量を得られるのがハウス栽培のメリットだ。

作業はほぼ一人、だから不要な作業はとことん省く

作業は10月から3月頃までは、朝5時から夕方6時までの長丁場。日の出前からヘッドライトをつけて収穫を行う。3月から6月頃は、10時を過ぎるとビニールハウスはサウナ状態になるため、一番暑い時間帯は休憩し、日が傾き始める3時から辺りが暗くなる7時まで作業を続ける。出荷などは夫のサポートがあるものの、作業はほぼ一人。体力にも限界がある。そこで、井上さんが常に意識しているのは、農作業の効率化と省力化だ。例えば、潅水や天窓の開閉は、センサーで全自動化。また、本来であれば畑の外に運び出す残渣の処理も、その場で細かくして土にすきこんで済ませる。収量を増やすには、キュウリの誘引位置は高い方がよいが、踏み台を使った作業は負担になるため目線の位置にとどめている。それ以外にも不要な作業はとことん省く。

 「業者や先輩農家の言うことを参考にしながら自分でいろいろと試してみて、必要なこととそうでないことを見極めています。農業は体を壊したらお終いなので、たとえ収益率は下がっても作業の負担を減らす工夫をしています。問題の腰痛は、農作業前に柔軟体操を入念に行うことで完全に消えました」

主な販路は、農協と地元の卸売業者。出荷規格外のものは、直売所などで販売する。栽培面積は就農当初と変わっていないが、年々収量は増え、等級の高いものの割り合いが増えることで売上も順調に伸びている。

「きちんと世話をすれば確実に利益になりますが、サボればすぐに結果として出てしまう。そこがキュウリ栽培の面白いところですね。時にはうまく育たないこともありますが、作物は意外と強いものなので深刻になることはありません。農業はやりがいがあるしお金にもなる。だから、いつまでもこの仕事を続けたいです」

就農を考えている人へのメッセージ

「農業は基礎知識が無いとなかなか動けないものですし、ある程度知った上で取り組んだ方が楽しいと思います。まずは、農業講座や担い手育成センターなどを利用して、基礎知識を身に付けましょう。また、就農支援を行っている機関や制度などの情報を収集して、それらをうまく活用すれば就農への道が近づきます」

 

「After 5 オンライン就農セミナー」にて、井上さんをゲストに就農までの経緯やご自身の体験談を語っていただきました。その様子を下記の動画よりご視聴ください。